「フランス革命の光と闇」⑦「ヴェルサイユ行進」1
ルイ16世は、「封建的特権の廃止」宣言も「人権宣言」も承認しない(ということは、公布できない)。9月18日、「封建的特権の廃止」に関する自分の考えを述べた長い手紙を国民議会に送る。どんな内容が書かれていたか? まず王は国民議会が提案する改革の大半に賛成すると述べている。その上で、いくつかの措置が拙速に決定されており、フランスが外国と結んだ国際条約(たとえば、アルザスに土地を所有するドイツ系諸侯の封建的特権を認めたウェストファリア条約)に抵触する、と注意を喚起。外交問題を得意とするルイ16世の適切な指摘である。実際このアルザス問題は、二年半後にヨーロッパ全体がフランスに対して始める戦争の一つのきっかけになった。 また、いくつかの封建的特権(定額地代など)の廃止については、無償ではなく農民が領主から買い上げることができると定めているので財力のない貧しい人々には何の益ももたらさないと指摘し、農民への思いやりを示している。 いずれも極めて良識的な指摘である。
しかし議員たちは国王の指摘に耳を傾けなかった。それどころか自分たちの能力不足を国王に指摘されて逆恨みする始末。そして封建的特権廃止の法令を承認し発布するよう高飛車に要求。それでも国王は、それら法令の「相対的な精神」を受け入れ「公告」する旨伝えた。国王の譲歩に満足した議会は、国王に拒否権を6年間認めることを可決した(国王に拒否権を与えるかどうかは、国民議会における大きな争点だった)。
ところで、二つの宣言によって民衆の騒擾はおさまったのか?否である。1789年は豊作だったが、革命の混乱や大恐怖によって穀物流通が滞り、市場に穀物が出回っていなかったためである。また貴族の亡命によって、彼らにやとわれていた者たちが職にあぶれ、失業者があふれる。またマラーが革命の舞台に登場し、『人民の友』を創刊。急進的な立場で反革命分子への攻撃を展開し、民衆の行動を呼びかけた。
そんなおりもおり、ヴェルサイユで民衆の感情を逆なでするような出来事が起きる。10月1日、王が呼び寄せたフランドル連隊を歓迎する近衛兵による豪華な宴会がヴェルサイユで催された。宴のさなか、酒に酔った近衛兵たちが三色徽章を踏みにじり侮辱したというのだ。「国民議会を倒せ!」と叫ぶ者もいた、と伝えられる。 台所を預かる女たちの堪忍袋の緒が切れた。この頃、パリではパンが不足しており、パン屋に行列して並んでもパンがなかなか手に入らなかった。家では腹をすかせた子どもたちが泣いている、まもなく厳しい冬もやってくる、ヴェルサイユでは反革命派の策動があるという。こんなことでは事態は悪化するばかり、王様に何とかしてもらおう。「ヴェルサイユへ」という叫びがあがる。マラーも「武装せよ」「ヴェルサイユへ進軍せよ」と訴えた。女性たちの「ヴェルサイユ行進」が始まる。
(1789年10月5日 ヴェルサイユへ向かう女性たち)
(1789年10月5日 ヴェルサイユへ向かう女性たち)
(メアリー・エヴァンス「1789年10月5日 ヴェルサイユ行進」)
(ジョゼフ・ボウズ「マラー」カルナヴァレ博物館)
(1789年10月1日 フランドル連隊を歓迎する宴会)
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