「フランス革命の光と闇」⑤「トリコロール」
1789年7月17日、ルイ16世がパリ市庁舎に到着すると、民衆に虐殺されたフレッセルにかわって新市長に就任(国王の任命ではない。それまでパリ市長職は国王に任命されていたから、それ自体が国王権力への挑戦だった)したバイイはこう言った。
「陛下、私は謹んで、フランス国民であることの象徴を、陛下に贈らせていただきます」
そして、パリ市の色である青と赤に、王家の色である白を間にはさんだ三色(トリコロール)の巨大な帽章を国王に献上した。これこそ、新たな自由の徽章であり、国民と革命の象徴だった。ルイはそれを自分の帽子につけ、市庁舎の階段を登り、大講堂の玉座に着く。そしてパリ市有権者会議議長サン・メリから歓迎の演説を受ける。
「国王の玉座が一番安泰なのは、民衆の愛と忠誠を礎としている場合にほかなりません」
「陛下がこれまで王冠を戴いていたのはその生まれゆえでしたが、今は、ただご自身の美徳ゆえでございます」
国王は、バイイに促されて、帽子をかぶって窓辺から外に姿を見せた。グレーヴ広場(市庁舎前広場)を埋め尽くした黒山の群衆から、歓喜の叫びが沸き起こる。
「王は第三身分の味方だ!」
王はサン・メリの言葉に応えるようにこう言う。
「我が民は常に余の愛を期待して裏切られることがない」
国王に対する最高の敬意の表明として、取り壊しが決まったバスチーユ監獄の跡地に「集会の自由の再生者、国の繁栄の再興者、フランス国民の父」としてルイ16世を称える記念碑が建立されることが決定された。
しかし、サン・メリの演説は、既に国王の存在が大転換したことを語っている。バイイも市参事会員たちも、ルイに話しかけるとき、これまでのように跪くことをしなくなった。国王はもはや侵すべからざる神聖な存在ではなくなった、神から権力を託された君主ではなくなったのである。最高権力は君主から国民へと移った。今後、ルイ16世が王の位にとどまれるかどうかは、主権者である国民が国王をどう思うかにかかっている。
パリを訪問したことで、王は状況を自分に有利な方へ向けたように思われた。しかしそれは、小休止にすぎなかった。今や、国を支配するのは第三身分と低位聖職者が多数を占める国民議会。その国民議会の思惑を超えて事態は動き出していた。パリにとどまらず国全体が熱狂(トランス)状態にあった。各地で国王が任命した地方長官が次々と職をなげうち、唐突かつ非合理な「大恐怖」(「グラン・プール」)が農民たちにとりついた。長官の目が届かなくなった地方の領主たちがパリでの出来事に一矢報いるために「ごろつき」を雇って農民を襲わせようとしている、貴族たちが邪悪な陰謀を練っている、といった風評が独り歩きしだしたのだ。農民たちは領主たちの城や館に火をつけ、古文書や封建制度に基づく権利証を破棄し、昔からの隷属関係を象徴するものすべてを抹殺した。その過程で、ある伯爵は焼き殺され、城主の一人は虐殺され、もう一人は切り刻まれて暴徒がその心臓を食べる、といったことまでおこった。国民議会はこうした反乱や殺戮に懸念を抱く。対策が急務だ。
(ジャン・ポール・ローレンス「パリ市庁舎でバイイとラファイエットに迎えられるルイ16世」パリ市庁舎)
(1789年7月17日 ルイ16世、パリ市庁舎を訪問)
(ダヴィッド「パリ市長バイイ」カルナヴァレ美術館)
(ドラクロワ「民衆を導く自由の女神」ルーヴル美術館)「トリコロール」を手にする自由の女神
(「1720年頃のパリ市庁舎」カルナヴァレ美術館 )
(「大恐怖(グラン・プール)」)城館に火がつけられ、貴族は逃げ出した
(「大恐怖(グラン・プール)」の拡がり)
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