「秋の七草の筆頭 萩」②
「ハギ」という名は「生芽(はえぎ)」が転じたもの。初夏のころ古株から勢いよく新芽を出すことに由来する。萩の花言葉「前向きな恋」はこのイメージにもとづくのだろう。しかし、よく知られている萩の花言葉は「思案」「内気」「柔軟な心」。「思案」「内気」は萩の控えめで細やかな美しさ、「柔軟な心」は風に揺れる萩の花の様子に由来するようだ。こうした萩のイメージを詠んだ俳句の代表が次の芭蕉の句。
「白露もこぼさぬ萩のうねり哉」
萩のうねりを生んでいるのはもちろん秋風。それを受け止める萩は、うねってはいるがしなやかでゆったりしており、萩の花はもちろんのこと、儚(はかな)いもの、すぐに消えてしまうものの象徴である白露さへもこぼさない。「白露をこぼさぬ萩のうねり哉」とするよりも、ずっと萩のしなやかさ、やわらかさが伝わってくる。また、「白露もこぼれぬ萩のうねり哉」と比べると、萩を主体化することで、萩の儚き白露への優しい配慮、慈愛と呼んでもいいような気配りを感じさせる表現になっている。
こんな萩だから、鈴木春信が好んで描いたのだろう。細身で可憐、繊細な表情の春信の美人画に萩は実にぴったりマッチする(「風俗四季哥仙 仲秋」、「夜の萩」、「浮世美人寄花 娘風 萩」、「萩と女の袖に隠れる若侍(見立武蔵野)」、「花 萩 流れのほとりの二美人」、「六玉川 萩の玉川 近江の名所」など)。
ところで「六玉川」とは何か。読み方は「むたまがわ」。全国にある六の玉川の総称で、数多くの和歌の歌枕として使われたことで有名。「高野の玉川」(紀伊 和歌山県高野山)、「三島の玉川」(摂津 大阪府高槻市)、「井出の玉川」(山城 京都府綴喜郡井手町)、「野田の玉川」(陸奥 宮城県多賀城市)、「調布の玉川」(武蔵 東京都調布市)、「野路の玉川」(近江 滋賀県草津市野路町)。
「忘れても 汲みやしつらむ 旅人の 高野のおくの 玉川のみづ」 弘法大師(風雅集)
(旅人がこの玉川の流れには毒がある[玉川の上流には毒虫が多いため]ということを忘れて汲んで飲んだりしてしまうのではないかと心配だ)
「駒とめて なほ水飼はむ 山ぶきの 花の露そふ 井出の玉川」 俊成(新古今集)
(乗ってきた馬を止めてやはり水を飲ませよう。山吹の花の露が加わる井出の玉川で。 *「飼ふ」=えさを与える)
「明日も来む 野路の玉川 萩越えて 色なる波に 月やどりけり」 源俊頼(千載集)
(明日も来よう、野路の玉川に。萩を越えて寄せる波に、花の色が映り、その波に月の光が宿っていることよ。)
このうち、近江の「野路の玉川」は平安時代末(12世紀)から有名になった歌所。萩の名所で別名「萩の玉川」とも呼ばれ、浮世絵にも多く描かれている(鈴木春信「萩の玉川」、喜多川歌麿「風流六玉川 近江」、葛飾北斎「風流六玉川 萩」、歌川国芳「近江国 萩の玉川」など)。
(歌麿「風流六玉川」右半分)真ん中が、近江の「野路の玉川」
(歌麿「風流六玉川」左半分)
(春信「風俗四季哥仙 仲秋」)
(春信「六玉川 萩の玉川 近江の名所」)
(春信「花 萩 流れのほとりの二美人」)
(北斎「風流六玉川 萩 近江野路」)
( 国芳「近江国 萩の玉川」)
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