「レオナルドの『最後の晩餐』制作過程」③

  レオナルドは画面に多様性を生み出しつつ統一感を持たせるために様々な工夫をした。 まずイエスと12人の弟子の対比。驚き、狼狽し、身振り手振りで激しい動きをする弟子たち(ヨハネだけは静かだが)に対して、落ち着き、あきらめ、哀しささえ感じられるようなイエス。ユダが裏切ったことへの怒りなどまるでない。それもそのはず。そもそも神の子イエスはなぜ人の子として地上に誕生したのか。それは神の人類救済計画に基づく。神は、人類の罪をあがなう(神への信仰から離れた人類を再び神に立ち帰らせる)ために、一人子イエスを十字架に架けて死なせる。神の人間に対する愛がそれほど深いことを示すために(イエスの言葉「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅ばないで、永遠の命を得るためである。」「ヨハネによる福音書」3章16節)。

 しかし、人間の肉体を与えられたイエスにとって十字架刑はもちろん苛烈な苦しみをともなう。できれば逃れたい。最後の晩餐の後、ゲッセマネでの神への祈りのシーン。イエスの苦悩が最も鮮明に表れる場面。

「イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。」(「ルカによる福音書」22章44節)

  しかし、神の計画は実現しなければならない。だからイエスは神に言う。 

「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、私の願いどおりではなく、御心のままに。」(「マルコによる福音書」26章39節) 

 そのイエスの想いをレオナルドは表現したのだと思う。そんな思いは弟子たちの誰も理解できない。イエスが血の滴るような汗を流しながら祈っているときも眠りこけてしまう。イエスから「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」(「マタイによる福音書」26章38節)と言われたにもかかわらず。

 レオナルドは、愛弟子たちからも理解されない深い孤独を両脇の弟子(ヨハネとヤコブ)との距離で示した(ルーベンス「だれも彼の周囲に群がらず、まただれもが彼の傍らに近づかない」)。しかし、イエスの孤独は絶望ではない。希望が伴っている。十字架上の死は、復活、昇天へと続く。だから、イエスの孤独の表現は暗いだけのものであってはいけない。イエスの背後に広がる窓の外の景色、それが希望を表わしているように思う。これがあるためにレオナルドの『最後の審判』は、見る者に陰鬱な印象は残さない。その絵を目にする者が、イエスの苦しみとともに一人子さえ十字架に架けるほどの神の人間に対する深い愛、死をも超えて復活、昇天させる神の偉大な力に思い至るようにレオナルドは計算してこの絵を描いたはずだ。 

 絵画、特に宗教画は美術館ではなく、本来それが掲げられていた場所で見ることで作者の意図が読み取れる。いや、それを想像できれば美術館のような場であってもかまわないのだろうか。いずれにせよ、レオナルドの『最後の晩餐』は、奇蹟的に今ももともとあった場所に現存している。ナポレオンが「ここは敬うべき場所であり、兵舎として使用してはならないし、他の損傷を加えてもならない。」と命じたにもかかわらず、その価値を理解できない部下たちによって、壁面に穴をあけて通用門が作られるという大損害を受けたが。また、1943年の今日、すなわち8月15日に連合軍の爆撃を受けてサンタ・マリア・デッレ・グラツェ教会は破壊された。しかし『最後の晩餐』の壁は、修道士たちが積み上げた土嚢によって奇跡的に破壊を免れた。無残な通用門の痕跡を残しながら、また何度も修復が繰り返され、レオナルドが描いた当時の鮮やかさはCGの再現画像で知るしかない(それとて原画と全く同じというわけにはいかない)が、それでもその絵の前に立つ意味は十分ある。卑小な人間が、求め続けることでどれだけ偉大な高みにまで到達できるかを知るために。

( ジョヴァンニ・ベリーニ「ゲッセマネの祈り」ロンドン ナショナル・ギャラリー)

杯を手にした天使と祈るイエス。眠りこける弟子たち。イエスを逮捕しようとこちらへ向かう一団。

(マンテーニャ「ゲッセマネの苦悩」ロンドン ナショナル・ギャラリー)

(ビセンテ・マシップ「ゲッセマネの祈り」プラド美術館)

(ビセンテ・マシップ「ゲッセマネの祈り」プラド美術館)部分

イエスから滴り落ちる血の汗

(グリューネヴァルト「キリストの磔刑」ドイツ コルマール ウンターリンデン美術館)

(ピエロ・デラ・フランチェスカ「キリストの復活」サンセポルクロ市立美術館)

(レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」部分)

(レオナルド「最後の晩餐」CG再現 NHK)

100%忠実な再現ではないだろうが、人物の動きはよくわかる

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