「ミケランジェロに息づくドナテッロ」

 父の反対を押し切って当時のフィレンツェで一、二を争う規模の工房を経営していたドメニコ・ギルランダイオのもとに13歳で弟子入りしたミケランジェロは、1年ほどで工房を離れる。詳しいきさつは不明だが、サン・マルコ修道院にあった、メディチ家による彫刻コレクション庭園に出入りできるようになったためのようだ。この彫刻コレクションは、ドナテッロがコジモ・デ・メディチに助言してコジモ古代彫刻を収集させ、これを集めて修復したものであり、ドナテッロ亡き後はその弟子ベルトルド・ディ・ジョヴァンニが修復管理にあたった。少年ミケランジェロはそこで学んだのだ。ヴァザーリはドナテッロの伝記を、次の一句で結んでいる。

 「ドナート(ドナテッロ)の精神はブオナローティ(ミケランジェロ)のなかに息づき

                   ブオナローティの精神はドナートからはじまる 」

 古代に基づく理想主義と写実主義を調和させたミケランジェロ以前の最大の彫刻家ドナテッロ。彼は、1430年から1433年までローマに滞在し、古代彫刻から多大の影響を受けるが、帰国後の代表的作品を3つ取り上げる。

①「カントーリア(聖歌壇)」(1439年 フィレンツェ 大聖堂造営局付属美術館)。 それ以前の作品にみられた精神性は後退し、爆発的な生気にあふれたプットー(童児)たちのバッカス的な乱舞が描かれる。中世とは全く異なる新しい時代の精神が溢れている。 (ジョヴァンナ・ガエタ・ベルテラ) 「 青年期に制作した彫像の周囲に漂っていた端正さ、厳しさはまるでバッコス祭のような狂乱のダイナミズムの中に姿を消している。・・・光り輝く背景の前で、さまざまなポーズの童子たちが自由奔放な行列を展開している。童子たちは、無限を象徴する細かな金地の背景の前で、動き回り、走り、かつ踊る。」

 ②「ダヴィデ(ブロンズ)」(1435年 フィレンツェ バルジェッロ国立美術館)  メディチ邸内に飾るための私的な注文品だが、滑らかな青銅の肌が、この像も持つ官能的な美しさを際立たせている。数あるダヴィデ像の中でも最も美しいとされ、ヴァザーリはこの像を絶賛して、こう書いている。 「彼はゴリアテの首を打ち倒して、その上に片足をのせ、右手には剣をもっている。この像は、きわめて自然な生動感としなやかさをもっていたので、工匠たちには生きた人間からかたどりされたものとしか思えなかった。」

 ③「ユディトとホロフェルネス」(1455年 フィレンツェ ヴェッキオ宮殿)  この主題もまた、ダヴィデと対をなすフィレンツェ防衛のシンボルで、聖書外典に書かれた寡婦ユーディットが敵軍の将軍ホロフェルネスを泥酔させた上でその首を切り取るという、女英雄の物語からとられている。前年に造られた木彫の「マグダラのマリア(マッダレーナ)」(1454年 フィレンツェ 大聖堂造営局付属美術館)同様、驚くほどの表現主義的な力を持った近代的な作品である。

「内側にはこの女性の剛毅な魂と神の加護がはっきり読み取れる。いっぽうホロフェルネスの表情には泥酔と眠りが、生命を絶たれて冷たくなった四肢には死が見てとれる。・・・それは見る人を賛嘆させてやまなかった。」(ヴァザーリ)

 以上3作品を見ただけでも、ドナテッロの新しさは比類ない。

「ドナテッロの作品は、つねに溢れるばかりの激しい内面的エネルギーに満ちているが、それでいてその激しい力に支えられた表現は、決して造形的な完成度は失ってはいない。すべてを混沌と無秩序に還元しようとする「ディオニソス的」なエネルギーと、すべてを秩序づけようとする造形的意志との絶え間ない闘争から生まれる強い緊張感が、彼の彫刻の生命力の根元を形づくっているのである。」(高階秀爾『フィレンツェ 初期ルネサンス美術の運命』中公新書)

(「カントーリア(聖歌壇)」)

(「カントーリア(聖歌壇)」)

(「ダヴィデ(ブロンズ)」)

(「ユディトとホロフェルネス」)

(「マグダラのマリア(マッダレーナ)」) 

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