「ローマはやっぱり凄い」

 今回1週間滞在するホテルはポポロ門から徒歩2分。「巡礼の道」をたどるにはもってこい。ポポロ門から北に延びるのがフラミニア街道で、終点がリミニのセルヴィウス橋。ゲーテもアンデルセンもスタンダールもこの街道を南下し、ポポロ門からローマに入ったのだ。門をくぐるとオベリスク、双子教会が目に飛び込んでくる。朝7時半。旅行者もほとんど見かけないポポロ広場へ。ポポロ教会に入るが朝のミサの最中だったのですぐに出る。まっすぐなコルソ通りをコロンナ広場まで進む。そこを右折しベルニーニが設計したサンタンジェロ橋に向かう。途中は見所だらけ。カラヴァッジョの「マタイの召命」のあるサン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会は、教会にしては珍しく9時半にならないと開かないので今日はパス。パンテオンで古代ローマ人の建築技術のすごさに改めて驚嘆し、ナヴォーナ広場では今回もベルニーニの噴水に興奮する。この彫刻の魅力は、水しぶきが太陽の光に照らされてキラキラ輝く夏にこそ発揮される。そして、どんな優れた写真でも伝えられないのがその水音。実に心地いい。ローマ程噴水の似合う街はないが、その魅力はベルニーニによって全開。サンタゴスティーノ教会ではカラヴァッジョの「ロレートの聖母子」を見る。早い時間のおかげで、独り占め。1ユーロで明かりをともす。蠟燭の明かりに照らされて観たら、もっと魅力的だったろう。精神が高揚した状態にあった巡礼者たちが、イエスを抱いたマリアが天から降り立つ奇跡が目の前で起きたと感じたことだろう。それにしてもこのマリアはいい女、って感じてしまうのは信仰心のない人間のなせる業か。かつての巡礼路の面影を残すカイローリ通りを進み、右折するとサンタンジェロ橋。入口の両端にペテロとパウロの像。そして、ベルニーニが設計した受難具を手にした12体の天使が巡礼者を迎える。巡礼者の信仰心はいやがうえにも高まる。そしてサンピエトロ大聖堂に向けて狭い路地を進む。すると突然目の前に巨大な大聖堂が姿を現す。ベルニーニのプランはこうだったが、今はまるで違っている。橋を渡って左折すると、大通りの先に大聖堂が丸見え。これもムッソリーニ政権の置き土産。この広い道はVia Conciliazione(コンチリアツィオーネ【和解】通り)。ムッソリーニ政権下のイタリア王国とヴァチカン法王庁が和解したラテラノ条約の締結を記念して中世の頃からあったスピーナ・ディ・ボルゴ地区の家々壊して造られたもの。ファシスト政権の趣味がよく表れている。

 夕方、ポポロ教会へ。カラヴァッジョの「パウロの回心」と「ペテロの磔刑」を見たくて。2ユーロ払って明かりをつけないと暗くてよく見えないが、誰もコインを入れようとしない。もちろんすぐにコインを入れて明かりをつけた。周辺にいた旅行者たちが待ってましたとばかりに殺到。金を払った人間の特権なんてまるでない。落ち着いて鑑賞する状況にはなかったが、それでもやっぱりこの絵はすごい。パウロの回心についての聖書の記述の本質をこれほどつかんで描いた作品を他には知らない。イエス一派の弾圧の先頭に立っていたサウロ(後のパウロ)はイエスの弟子たちを連行するためダマスコに向かう。そしてダマスコに近づいたときその出来事は起きる。

「突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。』同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。」(「新約聖書 使徒言行録9章3節~7節)

その後、キリスト教史上最大の使徒となったパウロの回心の場面。信仰を持たない自分のような人間でも、何度読んでも胸が熱くなる場面。それまでミケランジェロやラファエロもドラマチックなスペクタクルの場面として描いてきたが、カラヴァッジョはサウロ個人の内面で起きたできごととして描いている。カラヴァッジョの作品を見るためだけでもローマは訪れる価値がある。


(サンタンジェロ橋 入口)左が聖ペテロ、右が聖パウロ

(ポポロ広場)朝7時半。旅行者の姿はまばら。

(コロンナ広場)中央にマルクス・アウレリウスの円柱、頂上には聖パウロ像


(パンテオン)

(カラヴァッジョ「ロレートの聖母」サン・タゴスティーノ教会)

(ベルニーニ「四大河の噴水」ナヴォーナ広場)

(コロナーリ通り)昔の巡礼路の面影が残る

(コンチリアツィオーネ通り)

(サンタ・マリア・デル・ポポロ教会 チェラージ礼拝堂)

右がカラヴァッジョ「聖ペテロの回心)

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