「蛍狩り」

  梅雨のこの時期の楽しみの一つ「蛍狩」。住まいから100mほどの場所で、この時期1週間限定で蛍狩りを楽しませてくれる。一昨年から行くようになったが、これまではせいぜい10匹見られるかどうか。ところが一昨日は、乱舞とは言えないまでも、子どもからも大人からも歓声があちこちで上がるほどの数(おそらく100匹以上)の蛍が見られた。おそらく見る人それぞれの経てきた人生に応じて何かを感じさせる力を蛍は持っているのだろう。

 芭蕉の蛍を呼んだ俳句で最も好きなのが次の一句。

    「ほたる見や船頭酔(よう)ておぼつかな」

 瀬田の唐橋付近での「蛍見舟」を詠んだ一句。酒を楽しみながら蛍の光の水面に映るのを見て楽しむ「蛍見舟」。なんともうらやましい季節の味わい方。しかし、小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が記している宇治川での「蛍合戦」(平安末期、「平家物語」で「橋合戦」と呼ばれる源氏と平家の戦いが京の宇治川であった。川が赤く染まるほどの凄まじい戦いだったが、多くの蛍が宇治川で乱舞する様子が源氏が平家に戦いを挑んでいるようにも見えることから、「蛍合戦」と言われるようになった)を楽しむ蛍見舟は、壮観という形容がふさわしい。1902(明治35年)年に書かれている。

「現在、一番有名な蛍の名所は山城の国の宇治の近所である。・・・町から数キロ離れた川上で見られる蛍の眺めは圧巻で、まさに蛍合戦と呼ばれるにふさわしい。緑深い谷あいを宇治川が大きく蛇行しつつ滔々と流れ、その両岸から幾千幾万もの蛍がわっとばかりに飛び出して、水の上でぶつかりあい、からまりあう。蛍の大軍がいちどきに群れをなして飛び交うさまは、まるで光の雲か閃光の玉にみまごうばかりである。そうかと思うと、たちまち群れをなす蛍の雲は流れの上でぱっと散り、その玉は落ちて砕ける。落ちた蛍は瞬きながら川面をゆらゆらと漂っていく。しかし、次の瞬間には同じ場所にまた新たな軍勢が集まってくる。人びとは一晩中、川に浮かべた舟の上でこの光景を眺めるのである。蛍合戦が終わっても、なおも宇治川は明滅しながら漂う蛍の躯におおわれ、さながら銀河を見ているような様相を呈すると言われている。」

 ところで江戸時代の蛍狩り。網や箒を使って捕まえることもあったが団扇を使う方法が一般的だったようだ。一茶の句に見られるように、何しろ蛍の動きはゆったりしていてたよりなげだから。

     「大蛍ゆらりゆらりと通りけり」

     「馬の屁に吹き飛ばされし蛍かな」

 捕まえた蛍を籠に入れて持ち帰り、蚊帳の中に数匹入れて蒸し暑い日本の夏の夜を楽しむ。まだ地方によっては昭和まで残っていた楽しみ方のようだが、今となっては何とも贅沢に感じられる。蛍狩りを楽しむ心のゆとりはなくしたくないものだ。

(歌麿「蛍狩り」)

(栄松斎長喜「四季の美人 蛍狩り」)

(二代広重「江戸自慢三十六興 落合ほたる」)落合は江戸時代の蛍の名所 

(鈴木春信 「蛍狩」)

(国貞「見立蛍狩夜光玉揃」)

(国芳「四季遊観 納涼(すずみ)のほたる」)


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