「英雄ダビデの犯した罪」
羊飼いの少年ダビデは、巨人ゴリアテを石投げ紐(投石器)ひとつで倒した。
「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かってくるが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。」(サムエル記上 17章 45節)
その後、ユダの王、さらにはイスラエルも含む統一王国の王となり、エルサレムを首都に定める、神の祝福を受けながら。
「 あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう。・・・・あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」(サムエル記下 7章 9、16節)
こんなダビデも罪を犯す。ある日の夕暮れ、王宮の屋上を散歩していたダビデは、美しい女性の水浴びを目撃。使いの者をやって彼女を召し入れ、床を共にする。彼女の名はバトシェバ。ダビデの家臣ウリヤの妻。バトシェバはダビデの子を妊娠。それを知ったダビデはどうしたか?戦場にいたウリヤを呼び戻し、バトシェバと床を共にしようとさせる。不義の子の父親をウリヤと思わせるためだ。しかし失敗。次に打った手は、なんとウリヤを最前線に出し、戦死させる策略だ。何も知らないウリヤに司令官宛ての書状を持たせる。そこに記されていたのは「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」。ウリヤは戦死し、その喪が明けるとダビデはバトシェバと結婚。もちろん、このような行為は主の御心に適わない。主から遣わされたナタンはダビデをこう叱責する。
「イスラエルの神、主はこう言われる。『・・・なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。・・・見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう。』」(サムエル記下 12章 27節)
不義の子は生後7日目に死亡。その後、ダビデの子たちは凄惨な骨肉の争いを繰り広げる。晩年のダビデは「衣を何枚着せられても暖まらなかった。」
それでもダビデは神から愛され続けた。殺人と姦淫という十戒の戒めを二つまで破ったダビデが、なぜ神から見捨てられなかったのか、それどころか愛され続けたのはなぜか?それはダビデが自らの罪を隠すことなく正直に告白し、神の赦しを求めたから。
「神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。」(「詩篇」51篇1章~6章)
人間とはどういう存在であり、どういう人間が是とされるのか。聖書はダビデを通してひとつの答えを示している。
(レンブラント 「バト・シェバ」ルーヴル美術館)
(オスマール・シンドラー「ダヴィデとゴリアテ」)
(ティツィアーノ「ダヴィデとゴリアテ」ヴェネツィア サンタ・マリア・デル・サルーテ教会)
(ドナテッロ「ダビデ」フィレンツェ バルジェロ美術館)
(「ダヴィデを叱責する預言者ナタン」)
(ペドロ・アメリコ「ダヴィデとアビシャグ」)
アビシャグは懸命に奉仕するが、ダビデの体は温まらなかった
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