「カエサルとガリア」

  ガリア戦役当時のガリア全域の人口は、1200万人前後であったとされているが、カエサルの前後9年にわたるガリアでの戦争によって、ガリア人のうち、武装能力のある人の3分の1がローマの剣の下に倒れ、あと3分の1が、捕虜や奴隷にされてしまったと言われる。その後、ルビコン川を渡ったカエサルはガリアを離れ、内乱を戦い抜くのだが、その間ガリアはどうしていたのか。カエサルの軍団は、内乱勃発以降、カエサルに呼ばれてガリアを後にしており、ガリアにローマ兵は一人もいなくなったのだ。ローマの支配を覆すには最適の時期だった。反乱の先頭に立てる部族の有力者たちもほぼ全員生存していたし、それまでの反ローマの蜂起の火付け役だった祭司階級も健在だった。しかし、彼らは反カエサルに立ち上がらなかった、カエサルと内乱を戦ったポンペイウス派はそれを密かに期待していたのだが。それどころか、スペインでポンペイウス派と戦闘中のカエサルに、兵糧を輸送したのもガリアだった。

 なぜこのようなことが実現したのか。この事実こそ、自分がカエサルに魅かれ、その政治力、統治方法を詳しく知りたいと考えるようになった中心的な理由だ。簡単に言えば、カエサルは属州をローマの被支配地域ととらえず、「属州もまたローマなり」、「属州もローマの一地方」と考えたからだ。敗者が勝者に不満を持つ主な理由は二つ。勝者によって自治が奪われることと経済的収奪。大英帝国のアジア支配などその最たるもの。だから、安定した統治を実現するにはそれを排除し、勝者と敗者が運命共同体を形成すること、それこそカエサルが目指し、元老院と決定的に対立した原因だった。だからこそ、ガリアはカエサルが困難な状況に陥っていた内乱期にもカエサルを支え続けたのだ。強権、監視、恐怖による支配など長く続いたためしがない、会社のような組織だろうと国家だろうと。

(カエサルに降伏するガリアの指導者ウェルキンゲトリクス)

(「ポンペイウス」コペンハーゲン ニュー・カールスバーグ美術館)

(内乱勃発当時のカエサルとポンペイウスの地盤)

(映画「クレオパトラ」監督セシル・B・デミル)

  カエサル:ウォーレン・ウィリアムズ、クレオパトラ:クローデット・コルベール)

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