「退職へのカウントダウン」②

 今日は修了式。生徒たちの今年度最後の登校日。そして離任式。異動する教員や退職者が生徒たちに最後の挨拶をする。大切な教育の場。ここ数日、何をそこで語ろうか考えてきた。まだ、固まっていない。長々と話したくない。感傷的な話にもしたくない。生徒たちが一歩前に踏み出すのに後押しをするような話ができればいい。短くわかりやすくインパクトのある話。社会科の教師として、歴史上の人物をとりあげて語ろうか。誰がいい。NHK大河ドラマの主人公西郷隆盛か。自分が惚れ込んでいる勝海舟か。いやHPのタイトルにもしているユリウス・カエサル。自分が好きなだけじゃあだめだ。生徒たちになじみがある人物。興味関心を持って聞きたくなる人物。もっと身近な人物の方がいいか。

 平昌オリンピックのカーリング女子の「LS北見」のサード(第3投者)吉田知那美。彼女がメダル獲得が決まった後のインタビューで語った言葉を当初は考えていた。

「悪いこともいいことも、プレッシャーも緊張も、全ての感情が人生の最高を更新した『濃いゲーム』だった」

 自分の人生観との重なりを感じた。こんな言葉を吐ける彼女の人生に興味を持った。彼女は前回のソチ五輪に北海道銀行の選手として出場するが、チームは準決勝進出を逃す。その数日後、戦力外通告を受ける。リンクに上がることさえ嫌になり、ソチから帰国後、一人旅に出た。そして、富山、軽井沢、東京と旅をつづけながら、加賀友禅作家をはじめ様々な人と交流。1か月後、新千歳空港から、地元の北海道北見市でLS北見を結成した本橋麻里選手に電話をかけ、「チームに入れてほしい」と頼んだ。「私の人生はここで終わりじゃない。納得して終わろう」と思えるようになった。この話を知ったとき、離任式ではこれを生徒たちに話そうと思っていた。だが今は迷っている。そうしようかとも思うが、それが本当に一番自分が伝えたいことなのかとも考えてしまう。  

 法学部、教育学部と長すぎる学生時代を過ごし、民間の進学塾で5年働き、35歳で都立高校教師になった。35歳が受験可能な年齢の上限だった。最初で最後のチャンス。少しでも倍率の低い(と言っても60倍)科目ということで、「日本史」、「世界史」を避け「倫理」で受験。なんとか合格し、最初から定時制高校を希望し(教育学部時代に生活指導、特に非行問題を勉強していた)以来25年間、定時制一本でやって来た。その中で自分が一貫して取り組んできたこと、学んだこと、それを最後に語ろうかとも考えた。まだ、まとまらない。やはり、挨拶で壇上に立った時、浮かんだ思いを語ればいいように思う。あまり、どういう話をしたら生徒のためになるか、どんな話が影響を与えられるか、そんなことに拘泥しない方がいいのかもしれない。勝海舟が、江戸城無血開城を振り返ってこんななことを言っている。

「 一たび勝たんとするに急なる、たちまち頭熱し胸おどり、措置かえって顚倒し、進退度を失するの患(うれい)を免れることはできない。もしあるいは遁(のが)れて防禦の地位に立たんと欲す、たちまち退縮の気を生じ来たりて相手に乗ぜられる。事、大小となく この規則に支配せられるのだ。おれはこの人間精神上の作用を悟了して、いつもまづ勝敗の念を度外に置き、虚心坦懐事変に処した。それで小にして刺客、乱暴人の厄を免れ、大にして瓦解前後の難局に処して、綽々(しゃくしゃく)として余地をたもった。これ畢竟、剣術と禅学の二道より得来った賜であった。」

「勝敗の念を度外に置き、虚心坦懐事変に処す」。命がいくつあっても足りないような、常人であれば不安でとても枕を高くして眠れない日々のなか、どこか飄々とというか、いやまるでそれを楽しんでいるかのように事に当たっていた江戸城無血開城前後の勝海舟。一つに執着することなく、融通無碍に、しかし、ぶれることなくその目的(徳川家の存続、江戸を戦火から守る、内戦を避け、外国の干渉を防ぐ)の実現に突き進んでいた勝の精神構造が少しわかった気がした。そうだ、これでいこう。さて、演壇に立ち生徒たちを前にした時、どんな言葉が浮かぶか、何を語りたくなるか、楽しみである。

(幼き日の家族)悩みなき時代。思えば遠くに来たもんだ。

(吉田知那美選手)

(勝海舟)


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