「ミケランジェロのローマ」②

 1512年10月31日、4年半の歳月をかけて完成したシスティーナ礼拝堂の除幕式が行われた。集まった人々は賛嘆の声をあげた。  

   「神の如きミケランジェロ!」

 人々が最も驚いたのは「アダムの創造」。この場面のもととなっている聖書の記述を見てみよう。二つの場面からなる。

①『旧約聖書 創世記1章』

「 神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。・・・・』。神は、ご自分にか

 たどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」

②『旧約聖書 創世記2章』

「 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。

 人はこうして生きるものとなった。」

 ミケランジェロの「アダムの創造」の斬新さ、革新性はどこにあるのか?同じテーマを扱った、彼以前の作品と比較してみよう。比較のポイントは、(ⅰ)アダムと神の姿勢(ⅱ) 「命の息を吹き入れる」方法。モンレアーレ大聖堂の作品は、息が光線のように描かれている。直接的に神がアダムに息を吹きかける表現をしている作品もあるが、ジョットの作品は、手と手を触れる表現をとっている。ただ、神に比べてアダムの姿があまりに貧弱。ギベルティは、立っている神が横たわったアダムの手を取って立ち上がらせようとしている。

 これら先例と比べて、ミケランジェロ作品は大きく異なる。指と指のふれあいによって、空を飛ぶ神から地面に横たわるアダムに命が流れ込むという独創的着想。その見事な肉体とともに宙を飛翔する姿で描かれることによって神の荘厳さを感じさせるのはもちろんだが、アダムの姿にも偉大さが感じられる。「神は、ご自分にかたどって人を創造された。」のだから、その姿が貧弱なものであってはならないはずだ。神の偉大さとともに、人間存在の重さ、大きさを謳いあげたルネサンスのヒューマニズム(人間中心主義)。その精神をミケランジェロはシンプルだがものの見事に表現して見せた。まさに「神の如きミケランジェロ!」

(ミケランジェロ「アダムの創造」)

(モンレアーレ大聖堂「アダムの創造」)

(1306年 ジョット「アダムの創造」)

(1372年 作者不詳「アダムの創造」)

(ギベルティ「アダムの創造」)

(ミケランジェロ「アダムの創造」)アダム

(ミケランジェロ「アダムの創造」)神

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