「年齢と精神性」

 性に対して非常に禁欲的で懐疑的だったミケランジェロは、サン・ピエトロ大聖堂の「ピエタ」のマリアについて「若すぎるのではないか?」と問われて、こう答えた。

「純潔の女たちの方がそうでない女たちに比べてはるかに長くその若々しく清らかな容貌を保つものであることをご存知ありませんか。」(アスカニオ・コンディヴィ『ミケランジェロ伝』)

 マリアはイエスを処女懐胎、すなわち夫のヨセフと性的な交わりなくイエスを妊娠したことになっているが、マリアには他に子どもがいたから、決して男性を知らなかったわけではないのだが。

 ところで、福岡に亡命中の高杉晋作(26歳)を匿った望東尼(59歳)は、いずれも夭折しているが4人の子どもを生んでいる。しかし、実際の年齢よりはるかに若く見られていたようだ。二人はどういう関係にあったのか?高杉は、第二次長州征伐時に、姫島に流罪中だった望東尼を救出する(彼が計画を立て、実際に救出にあたったのは別の6人)。また結核に侵され病床にあった高杉を、望東尼は高杉の愛人おうのとともに看病し続けた。さらに、高杉が亡くなった時、望東尼は柩の中に一緒に入れてほしいと高杉の妻まさに次の歌を託した。

 「奥つ城(き)のもとに我が身はとどまれど 別れて去(い)ぬる君をしぞおもふ」

(「奥つ城」=墓所にたたずんで、高杉との別れを嘆く望東尼の哀しみの深さが痛いほど伝わってくる)

 以上から、二人が起居を共にした平尾山荘での10日間に、二人は精神的にだけではなく肉体的にも深く結ばれたと思ってしまう。この思いを的確に表現していると思うのは、池宮彰一郎の『高杉晋作』である。二人の出会いをこう描写している。

「晋作と望東尼は、しばし無言で向き合っていた。  

 晋作は、驚嘆に言葉を失っていた。   

 ―――これが評判の老尼か。  

 まさに化生(けしょう)を見る思いだった。五十八歳と聞く野村望東尼は、白妙の肌艶々しく、天性の美貌に気品備わり、尼の姿がかえって魅惑に満ちていた。   

 ―――どう見ても、二十歳は若い。四十になるかならずか・・・。  

 (中略)   

 年齢の差など何であろう。パスカルの言葉にこうある。万人の中、ある特殊の人において、年は精神的なものでしかない。ある者は年齢以上に年をとり、ある者は若さを保ち続ける、と。  

 二人は、まさにそれであった。年の差は念頭になかった。相手の挙措を見るだけで胸がときめく。眺めるだけで至福を味わう。  

 たとえ指先でも触れたら、いのち絶えるほどの思いがあろう。晋作と望東尼は同じ時代に生き、めぐり合えた果報を感じていた。  

 (中略)  

 卑俗な興味は避けたいが、二人の間に何かあったかといえばわからないとしか言いようがない。だが無かったとみてしまっては、いまに残る詩歌や寸簡がひどく空しいものになる。」  

 幕末の動乱を駆け抜けた志士たちには、彼らを癒し、励まし、叱咤した多くの女性たちがいた。そのなかでも、高杉と望東尼の関係は、その全的なつながりの深さにおいて突出していると感じる。好奇心、想像をかき立ててやまない。

(ミケランジェロ「ピエタ」サン・ピエトロ大聖堂)

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