年の瀬の江戸

 今年も残すところあと二日。正月を迎える準備と言っても、我が家では29日に大掃除をし、30~31日おせちを作るぐらいだが、江戸時代は師走(12月)の1カ月をかけて年神様を迎える準備(神が降り立つ依代である門松、神饌としての餅など)をし、心身を清めた(煤払いなど)。

  (川柳)「極月するは目出度き笹ばたき」 *「極月」は12月の異名(年の極まる月)

 江戸城では1日から12日まで煤払いを行い、13日(この日は総仕上げとして正室の御座所が掃除され、畳はすべて新品に交換)に納めの祝いをしたが、その習慣が町方にも広まり、江戸じゅうの家が13日に一斉に煤払いをするようになったようだ。商家などでは出入りの職人・鳶職を総動員し、酒肴がふるまわれた。

  (川柳)「餡ころと土瓶置いてどっか逃げ」

 なぜ逃げるのか?煤払いには現代から奇妙に思える風習が伴っていた。それは「胴上げ」。煤払いが終わったのを合図に、主人、番頭、手代が次々に胴上げされた。下っ端になると、高く放り上げておっことしたりされることもあった。川柳は、それを嫌がったことをうたっている。

 「胴上の御家例ありて、誰彼の別なくそこらへ来り合せる人を捕えて、数人にて中へ高く挙げて、

 一声に〈目出目出の若松様よ、枝も栄えて、葉もしげる。お目出たや、サアーサッ、サササ〉と唄

 へり。」(『江戸府内絵本風俗往来』)  

 楊洲周延「千代田之大奥 御煤掃」をみると江戸城大奥でも胴上げが行われていたことがわかる。この胴上げ。由来は不明だが、悪いものを払い落とし(厄払い)、祓い清めることと関係していたように考えるのだが。  

 15日からは餅つき。この日から大晦日の日まで連日連夜、江戸四里四方に餅つきの杵の音が聞こえたという。餅の入手方法は4通り。①自分の家で餅を搗く②「賃餅」菓子屋などに頼んで餅を搗いてもらう③「引きずり餅」 町内の鳶が人足を雇い、注文を受けた家の前で搗くこと④年の市で購入  

 正月用品を売る年の市は、日をずらして江戸のあちこちで開かれたが、一番の賑わいを見せたのは浅草寺。広重「東都名所 浅草金竜山年ノ市」は大勢の人々が押し寄せる様子を今に伝える。

  (川柳)「市へ立つ女房は髭の無いばかり」  

 老人や子供は立ち入りできないほどの人波。痴漢も出没。その対策に男装して出かける女性も多かったことがわかる。  

 2017年も暮れようとしている。来年は年男。還暦。退職。人生の再スタート。例年とは異なるように感じる年の瀬を静かに楽しみたい。

(三代豊国「冬の宿 嘉例のすゝはき」)

(三代豊国「源氏十二ヶ月之内師走 」 部分  胴上げ)

(楊洲周延「千代田之大奥 御煤掃」部分  胴上げ) 

(三代豊国 「十二月之内 師走餅つき」)

(『東都歳時記』歳暮交加図 部分 「引きずり餅」)

(広重 「東都名所 浅草金竜山年ノ市」)

(『東都歳時記』浅草寺年の市)


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