憧れの人生の終わり方、ルノワール
死を目前にして、自分もこんな言葉が吐けたらと憧れる画家がいる。ジャン・オーギュスト・ルノワール。晩年、リューマチによる激痛で手足がマヒ。車いすに乗り、絵筆を布で手首に巻き付けてキャンバスに向かう。やがて、手の指は変形。「拷問のような」激痛に苦しめられる。それでも、一日として休むことなく創作を続けた。そして亡くなる前日、こうつぶやいたと言われる。
「絵の描き方ってものがわかりかけてきたぞ。ここまで来るのに50年以上もかかった。まだ充分とは言えないが・・・」
ルノワールの作品のすべてが好きなわけではない。彼自身「最高傑作」と呼び、生涯の総決算というにふさわしいとされる亡くなる年に描いた大作『大水浴図』(110×160㎝)。オルセー美術館で何度も見たが、いまだに好きになれない。『眠る女』の方がはるかに好みだ。また、ルノワールの作品からは、カラヴァッジョやゴッホのように魂を揺さぶられるような強烈なインパクトは感じない。しかし、、親友であり生涯印象派画家として生きたモネとの対比で、その芸術に対する基本姿勢には大いに共感する。彼は言う。「絵は楽しく美しく愛らしいものでなくてはならない」と。そして、人間をありのままに生き生きと描きたかったルノワールは、風景の中に人間を埋没させてしまう印象派とたもとを分かつことになる。「アングル様式」と特徴づけられる試行錯誤の8年間を経て、彼がたどり着いた結論。
「風景ならその中に入ってみたくなるような、女性なら抱きしめてみたくなるようなそんな絵が
描きたかった」
ルノワールの晩年は、間断なく襲ってくるリューマチの痛みに耐える日々だった。しかし決して悲劇的なものではなかった。「歩くことよりも私は絵が描きたいんだ」と専門医の治療を拒み、ポーズ一つ決めるにも手を焼かせる素裸のモデルたちを相手に、鼻歌まじりでカンヴァスに向かっていたという。死の床にあって繰り返していたうわごとも「早く、絵の具をパレットをよこしてくれ」だった。こんなふうに人生を全うしたいものだ。
(1881年「舟遊びの昼食」ワシントン フィリップス・コレクション)
「幸福の画家」ルノワールの人生に対する喜びがあふれた作品
1880年「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」チューリヒ ビュールレ・コレクション)
理屈抜きで惹きつけられる作品
(1884年「大水浴図」フィラデルフィア美術館)
「脱印象派」「アングル様式」の画風の頂点に立つ作品
(1897年「眠る女」オスカー・ラインハルト・コレクション)
「ルノワールが描いた裸婦の中でもっとも肉感的なもののひとつ」と評される作品
(1919年「浴女たち」オルセー美術館)
神々の楽園を描いたルノワールの画家人生の総決算とされる作品
(1910年 69歳のルノワール)
リューマチで手足の自由をほとんど失いながら絵筆を手首に巻き付けキャンバスに向かう
(1915年 74歳のルノワール)
不自由な手と対照的に、いまだ鋭い光を放つ眼が印象的
1909年から死までの10年間師事した梅原龍三郎に、「絵を描くのは手ではない、眼だと言い放った」ルノワールのその言葉が聞こえてきそうだ
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