ヘラの嫉妬とギリシア神話の不条理

 ギリシア神話の世界で、不条理を感じることの一つがヘラの嫉妬だ。浮気を繰り返すゼウスに対して、ヘラの嫉妬、憎悪の矛先が向かうのは、ゼウスと交わった相手の女性に対してなのだ。ゼウスは、自分の想いを遂げるためにさまざまに変身する。ある時はおとなしげな牛(対エウロペ)、またある時は白鳥(対レダ)、黄金の雨(対ダナエ)にだって変身する。婚約者の姿(対アルクメネ)になることだってある。相手の女性からすれば、そんな姿のゼウスをどうやって拒絶できるというのか。責めるべきはゼウスであるのに、ヘラの嫉妬、憎悪の矛先は神々の王ゼウスには向かわない。ディオニュソスの母セメレの場合についてみてみよう。ゼウスと交わり妊娠したセメレにヘラは、セメレの乳母の姿でセメレに近づきこう言う。「相手の男は、ゼウスを名乗っているだけじゃないのか。本当にゼウスかどうか確かめなさい」と。ゼウスが、本当の姿を見せれば、ゼウスの灼熱はセメレをたちまち焼き殺す、それをヘラは狙ったのだ。そしてその通りセメレは焼け死んでしまう。セメレに宿っていたディオニュソスはセメレの遺体から取り出され、ヘラの復讐を避けてゼウスの太ももの中で育つ。そして成長すると取り出され、セメレの姉イオに預けられる。しかし、ヘラの憎しみは終わらない。イオと夫を発狂させ、彼女たちに二人の息子を殺害させてしまうのだ。なんとも不条理な話だ。

(絵画は、上からティツィアーノ「エウロペの掠奪」、ティツィアーノ「ダナエ」、クリムト「ダナエ」、ギュスターヴ・モロー「ユピテルとセメレ」)

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