絶望と無縁

4番目の絵は有名なマリー・アントワネットの母であるハプスブルクの「女帝」マリア・テレジア。では、最初の絵の人物は?こちらもマリア・テレジア、ただし11歳の肖像画。聡明さ、嫌みのない意志の強さがあふれている。歴史の勉強の面白さは、生きては出会えそうもない惚れ惚れするような優れた指導者たちに出会えること。断然好きなのは、古代ローマ帝国のグランドデザインを描いたユリウス・カエサルだけど、マリー・アントワネットの母マリア・テレジアもエリザベス1世とともに魅かれる女性指導者のひとり。そして、彼ら、彼女たちに共通する特徴の一つが、「絶望と無縁」というっこと。1740年、神聖ローマ帝国皇帝でありハプスブルク家当主だった父カール6世が突然崩御。周辺国は、継承権を主張して襲いかかってくる。プロイセン、スペイン、フランス、そして神聖ローマ帝国内のザクセン選帝侯、バイエルン選帝侯まで。跡をを継ぐことになったマリア・テレジアはこの時23歳。政治教育もほとんど受けておらず、しかも3歳の次女、1歳の次女、0歳の長男をかかえていた。おなかの中には3女までいた。火事場泥棒のごとくフリードリヒ大王率いるプロイセンがシュレージエンを奪ったことに、妥協しか頭にない無能な家臣をしり目に、彼女は毅然と立ち上がる。オーストリアだけで立ち向かうのはもちろん不可能。では、どこと手を組むか。彼女が選んだ相手は、なんとハンガリー王国。ハプスブルク家の支配下にあるとはいっても何度も反抗を繰り返してきた厄介な相手。時には異教徒オスマントルコと手を組んでまでハプスブルクに反抗。そんな国と手を組むのは「狂気の沙汰」という臣下たちからの声などものともせず、彼女は着々と手を打つ。まず取り組んだことは何か。乗馬の訓練。騎馬民族ハンガリー人の気持ちをつかむためだ。馬にまたがりさっそうとハンガリー王国に乗り込むマリア・テレジア。1歳に満たない後のヨーゼフ2世を連れていくことも忘れない。この乳飲み子を抱き抱えながらハンガリー議会で演説をぶつ。「この子を抱いた私を助けられるのはあなたたちだけなのです」支配する側の人間にここまでされて応じないわけがない。居並ぶハンガリー貴族たちから湧き上がる声。「我が血と命を!」ハンガリー議会は10万の軍隊と多額の軍資金の提供を約束。こうしてマリア・テレジアは、シュレージエンこそ取り戻せなかったが、そのほかの領土を奪われることなく9年間に渡るオーストリア継承戦争を戦い抜いた。「絶望しないこと」、「持てる条件を生かし切ること」。ないものねだり程人生を空しくするものはない。

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