「いざ吉原へ」4 構造(1)仲の町①引手茶屋と花魁道中

 大門をくぐると仲の町(なかのちょう)。「水道尻」(すいどじり。廓の下水の集合場所)と呼ばれる突き当り(火防災の神、秋葉権現をまつる常燈明が立っている)まで、吉原を南北に貫く百三十五間(約250メートル)のメインストリート。

    「よし原の背骨のよふな仲の町」

 享保のころまでは麩屋・畳屋・米屋など様々な商店が並んでいたが、1760年(宝暦10)ごろに揚屋(あげや)がなくなると、引手茶屋が軒を連ねるようになり(最盛期には百軒近かった)、突き出るようにかかる鬼簾(おにすだれ)と花色暖簾が、通りを華やかに彩った。用水桶と交互に「たそや行灯」(「たそや」という名高い遊女が、夜四ツ過ぎの暗闇で何者かに殺害された事件があり、それ以降用心のために行灯が設置されたことが名前の由来)と呼ばれる行灯があり、夜明けまで灯されていた。各妓楼からは清掻(すががき。三味線のお囃子)の様々な旋律が絶え間なく聞こえてきた。  

 仲の町の左右に軒を連ねている引手茶屋は吉原の案内所(ここ以外の大門の外などにも数件あった)。客の希望や予算に応じて遊女や妓楼を紹介し、必要があればともに登楼して一切の面倒を見てくれる仲介業者。妓楼にはランクがあり、最高ランクの大見世はここを仲介しないと登楼できない仕組みになっていた。それ以下であれば「直(じき)づけ」といって直接妓楼に行ってあそぶこともできるが、引手茶屋を通しているのといないのとでは妓楼での扱いがまるで違った。

 もともと、客と遊女屋を仲介していたのは「揚屋」(あげや)。元吉原の時代には、高級遊女との交渉は、遊女屋(当時は「置屋(おきや)といった」ではなく揚屋で行われた。揚屋には、それぞれ一軒ずつ茶屋がついており、客はまず茶屋に入って遊興し、そして揚屋に行って遊女と遊んだ。遊女を呼ぶためには揚屋から遊女屋に対して「揚屋差紙(さしがみ)」という証文を送る決まりだった。揚屋制度は金がかかるうえに、手間もかかったため、揚屋を通さずに直接茶屋に行って遊ぶ客が増え、宝暦年間(1751年―64年)

 引手茶屋を利用した誘客は、荷物や財布などの貴重品をすべて茶屋に預け、遊郭内では基本的に手ぶらで過ごした。その間に発生する見世への支払いや遊女へのチップ、場を盛り上げるための芸者衆の手配、飲食費などは、すべて引手茶屋が費用を立て替えて、合算した金額をあとでまとめて請求するという仕組みだ。支払いが滞れば茶屋の負債になるので客の経済力に見合った斡旋をするし、支払い能力がなさそうな場合は当然、門前払いにした。つまり、引手茶屋を通した遊客はきちんと金を回収できる客=信用できる上客と認定されたということなのだ。

 引手茶屋の中で、最も格式の高いのが大門をくぐってすぐ右手にある七軒(「七軒茶屋」)。仲介手数料にあたる妓楼までの送迎+茶屋での飲食代込みで一分(およそ2万円。一両8万円として計算)で、その向いの七軒(「向う七軒」)は二朱(およそ1万円)だった。高級遊女はこのあたりの店先で馴染み客を待って、一緒に妓楼に向かうことが多かったため、「待合の辻」と呼ばれていた。

 吉原見物に来た人々にとって最大の楽しみは、灯ともしころから仲の町で行われる華やかな「花魁道中」。花魁道中をするのは、大見世の最高位の「呼出し昼三(ちゅうさん)」。定紋入りの箱提灯を持った若い者に先導され、ふたりの禿(かむろ)を供にした花魁は高さが五~六寸(約15~18センチ)もある黒塗り畳付きの下駄をはき、外八文字と呼ばれる独特の歩き方でゆるやかに進んだ。花魁の後からは振袖新造ふたり、番頭新造、遣手(やりて)、最後尾に、若い者が花魁の全盛を誇示するかのように長柄傘を高々とかかげて従った。

    「全盛は花の中行く長柄傘」

 江戸時代後期の吉原の花魁道中には二種類あり、一つは年始や祝日、新しい遊女のお披露目などのイベントの日に妓楼をあげて行われた盛大なパレード。もう一つは呼び出し(指名)を受けた時や、「仲の町張り」(予約客を仲の町で出迎えること)のために花魁が引手茶屋に出かける際に行われる日常的なパレード。後者の場合、花魁は花魁道中をして仲の町の引手茶屋に着くと、店先に腰を下ろし馴染みの客を待った。

    「まだ来なんせんかと縁へ腰をかけ」

 客が来れば一緒に妓楼に帰り、来なければ五ツ時(午後8時)頃には引きあげたが、腰かけている間に他の客がみたてることもあった。 

広重「東都名所 新吉原五丁町弥生花盛全図」

『江戸名所図会』 新吉原

歌麿「江戸浮絵新吉原仲之町夕景之図」

歌川国丸「新版浮絵 新吉原仲ノ町之図」1811年

歌川国丸「親版浮絵新吉原中の町之図」1810年頃

『江戸名所図会』 新吉原中之町八朔

奥村政信「新吉原大門口中之町 浮絵根元」1740年

『北里十二時』 引手茶屋の二階座敷で客と遊女が歓談しているところ

歌麿画『青楼年中行事』 「新造出しの図」

国貞「吉原高名三幅対」

0コメント

  • 1000 / 1000