「ヒトラーとは何者か?」14 政治家への道(3)「ドイツ労働者党」入党
ヒトラーが所属したカール・マイヤーの宣伝・諜報部の任務は、兵士の政治教育・思想教育の実践だけではなかった。新聞・雑誌などメディアの動向、政治集会や政党活動の様子など、軍をとりまく世情を監視・調査することも、その重要な任務だった。
1919年9月12日、ヒトラーは視察・調査を目的に、ナチ党の前身、「ドイツ労働者党」の集会(ミュンヘンのビアホール、シュテルンエッカーブロイで開催)に赴く。ドイツ労働者党は、1919年1月、革命騒乱が続くミュンヘンに雨後の筍のように誕生した反ユダヤ主義的極右政党のひとつ。ヒトラーが視察に訪れた時、党員はわずかに50名程度の無名に等しい弱小政党だった。労働者の党を名乗っていたが、社会民主党や共産党などマルクス主義を源流とする左翼政党と対立し、マルクス主義から労働者を解放し、民族の共同体に組み入れることを目指していた。創設者はアントン・ドレクスラー。
視察するヒトラーには、この政党もミュンヘンのあちこちにできつつあった数多の小政党と同じく「つまらない組織」のようにみえた。ヒトラーが立ち去ろうとした時、来賓の一人であるアダルベルト・バウマン教授が、講演を行ったゴットフリート・フェーダーを批判し、バイエルン分離主義の議論を展開し始めた(バイエルンはドイツから分離してオーストリアとひとつになるべきだと訴えた)。これを遮ったのがヒトラー。そのあまりに激しい反論に、バウマンは完全にへこまされ、「水をかけられたプードル」のように部屋を出て行ってしまった。党首のドレクスラーはこう言ったと伝えられている。
「何ということだ。いっぱしのしゃべりだ。彼は使える」
1919年9月後半、ヒトラーはドイツ労働者党に入党する。ヒトラー自身は、入党するかどうか何日も迷った、と書いているが、入党はドイツ労働者党の党勢拡大を助けることを目的として上司マイヤー大尉から命じられたことによるものだったようだ。このために、ヒトラーは毎週20金マルク相当の資金を与えられ、軍関係者が政党に入党する際の慣行に反して軍にとどまることを許された。こうして1920年3月31日の除隊まで軍の給与と講演料の双方を手にすることになったヒトラーは、働きながら政治活動をしなければならなかったドイツ労働者党の他の指導者たちと異なり、すべての時間を政治宣伝に振り向けることができた。
ところで、ヒトラーがミュンヘンで軍の教宣活動に従事しはじめたころ、ドイツはヴァイマール共和国政府が受諾したヴェルサイユ条約(1919年6月28日締結)をめぐって、国中が騒然たる雰囲気に包まれていた。この条約は内容が過酷であるうえに、ドイツ側に交渉の余地を認めない「強制講和」だった。ドイツは、この条約によって、旧帝国領土の約13パーセントと700万余りの人口を失った。植民地・海外領土はすべて没収され、ダンツィヒは国際連盟管理下の自由市となり、東プロイセンは、バルト海への出口としてポーランドに与えられる西プロイセンによって本国から切断された。フランスとの国境沿いのザール地方も国際連盟(実質的にはフランス)の管理下に置かれ、ラインラントは連合国に占領された。さらに徴兵制は禁止され、参謀本部は解体され、兵力は陸軍10万、海軍1万5000に制限。賠償金支払いの総額の提示は先送りされたが、暫定措置として200億マルクの支払いが求められた(総額は最終的に1320億マルク)。
ドイツ国民はこんな厳しい内容を予想していなかった。条約調印を拒絶すべきだとする世論がにわかに高まったが、拒否すれば戦争再開の恐れがあった。やり場のない国民の怒りは、結局、この条約を受諾したヴァイマール共和国政府へ向かう。社会民主党を中心とするヴァイマール共和国政府はこれで一気に国民の支持を失い、代わりに旧体制の支持勢力が息を吹き返したのだ。この時、ヒトラーが入党したドイツ労働者党は、まだ本格的な政治活動を展開できる状況にはなかった。この党をどんな形の政治組織に発展させるべきか、明確な見通しを持ち合わせていなかった。そのため党事務所の開設から党組織の整備まで、入党と同時に党委員会メンバーとなり党員徴募係を担当していたヒトラーが主導権を握ることになった。
アントン・ドレクスラー 1930年代
ドイツ労働党(DAP) ロゴマーク 1919年1月5日、ドレクスラーが設立
ウィリアム・オルペン「ヴェルサイユ宮殿、鏡の間における講和条約調印、1919年6月28日」 この日に、第一次世界大戦における連合国とドイツ国の間の講和条約が締結された
ヴェルサイユ宮殿 鏡の間
ヴェルサイユ条約の調印光ヴェルサイユ宮殿鏡の間
第一次大戦後のドイツ
ヴェルサイユ講和条約による領土と人口の喪失
ヴェルサイユ条約に基づいて破壊される大砲 1919年
1919年5月15日の国会議事堂前でのヴェルサイユ条約に反対する大衆デモ
ヴェルサイユ条約反対のデモ
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