「ベル・エポックのパリ」12 エッフェル塔(2)
モーパッサンは建設中のエッフェル塔を、「この鉄の椅子で作った、やせた、のっぽのピラミッド」、「巨大な醜い骸骨」と評し、「パリの面汚し」だと決めつけた。そのモーパッサンが、数年後には、エッフェル塔のレストランでよく食事をするようになる。なんでまた嫌いなエッフェル塔にわざわざ足を運ぶのかという周囲の声に対して、モーパッサンは平然と答えた。
「だって、ここは私がパリでいまわしい塔を見ないですむ唯一の場所だからさ」。
いかにもモーパッサンらしいエスプリだが、いずれにせよモーパッサンをはじめ芸術家たちが当初展開したエッフェル塔に対する「村八分」は、一過性の拒絶反応に過ぎなかったようだ。とにかく、1889年の万博におけるエッフェル塔の爆発的人気を目の当たりにして、反対をとなえていたインテリたちも、もはやエッフェル塔をけなしたりすればするほど、自分が滑稽な存在になってしまうことを認めざるを得なくなる。
それでも、パリ画壇のエッフェル塔に対する「村八分」はかなり長い間続いた。とくに表立ったボイコット運動があったわけではなく、むしろ画家たちが馴染むのに時間がかかったのだという見方もある。いずれにしても、エッフェル塔を画廊や美術展でチラホラ見かけるようになったのは、第一次世界大戦が近づき始めたころのことである。初めてエッフェル塔を描いたのは、ジョルジュ・スーラ(「エッフェル塔」1889年 サンフランシスコ美術館)。点描技法を確立してから3年後のこと。この絵、塔の上の方をよく見るとまだ未完成なことがわかる。
エッフェル塔を最初に画壇に入れたのはロベール・ドロネー。新印象主義から出発し、ついで立体派に転じ、さらに未来派の要素も取り入れた画家だ。その作品にはエッフェル塔をテーマにしたものが多いが、もっとも有名なのは「赤いエッフェル塔」。とにかく、このドロネーという画家は、文字通りエッフェル塔にほれ込んで、あらゆる角度からエッフェル塔を描きまくり、1911年、1年間だけでなんと51枚を描き上げたというから、その熱の入れようたるや推して知るべしである。
20世紀初頭、花の都と呼ばれたパリは、世界中から多くの芸術家たちを集めたが、23歳のロシア人青年マルク・シャガールもその一人だった。1910年、シャガールは恋人を祖国に残してパリにやって来て、モンパルナスのアトリエで絵の制作に没頭する。初期の代表作「7本指の自画像」(1912-13年 アムステルダム市立美術館)は、キュビズムというパリの新しい風を受けながら、祖国ロシアの風景を描く、画家自身の姿を描いている。頭上には故郷の街の風景、窓の外にはエッフェル塔。これはパリに捧げたシャガールの讃歌とも言える。この作品には、キュビスムに華麗な色彩を導入した画家、ロベール・ドローネー(1885~1941)の影響がみられる。
ほかにもシャガールは、エッフェル塔を挿入した印象的な作品を残している。まず「窓から見たパリ」(1913年 グッゲンハイム美術館)。窓の外を眺める人物は、左右に二つの顔を持つ男はパリでの新しい生活と故郷を懐かしみ見つめる画家自身。彼の青い肌のトーンが意味するものでは悲しみであり、手のひらの上には故郷に残した恋人の写真を保存しているハート型のロケットペンダントが描かれている。右下の男の頭上にはユダヤ人のカップル描かれ、伝統的な黒服と帽子を身につけている。シャガールは彼の生い立ちであるユダヤ教の影響を強く受けていた。
もうひとつは、「エッフェル塔の新郎新婦」(1939年 パリ国立近代美術館)。 一見すると、いつものシャガールらしい、穏やかな愛の光景である。だが、この作品が措かれたのは、ナチスによるユダヤ迫害が苛烈をきわていた時期であり、第2次大戦を翌年に控える不安の時代だった。1933年に、ナチスはマンハイムで焚書事件を起こし、シャガールの絵も焼かれた。これを皮切りにして、シャガールの絵は頽廃芸術という烙印を押され、没収の対象とされる。1941年、シャガールは、アメリカに亡命せざるを得なくなるのだが、この絵はその亡命の直前ともいうべき時期に描かれたものである。この絵には、パリの光景のみならず、ヴイテブニクの街並や、鶏やヴァイオリンなどのシャガールが愛するモティーフがすべて刻まれている。シャガールは、みずからに迫る危機に対して、芸術という「愛」の結晶をもって「抵抗」を試みたのだろうか。
ジョルジュ・スーラ「エッフェル塔」1889年 サンフランシスコ美術館
ロベール・ドローネー「赤いエッフェル塔」1911年 シカゴ美術館
マルク・シャガール「7本指の自画像」アムステルダム市立美術館
マルク・シャガール「窓から見たパリ」1913年 グッゲンハイム美術館
マルク・シャガール「エッフェル塔の新郎新婦」1939年 パリ国立近代美術館
モーリス・ユトリロ「ベルサイユ大通りとエッフェル塔」
ユトリロの描くエッフェル塔も異彩を放っている
モーリス・ユトリロ「雪のエッフェル塔」
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