「ギリシア神話と名画」8 アポロンの悲恋

 万能の神であり、美男子としても知られるアポロン。ギリシア人は「アポロンは男性美の化身で、美青年の理想そのもの」と考えていた。そのため、もし女性がこの神に愛されるようなことがあれば、それは幸福の極みだとも考えていた。しかしこんなアポロンの恋愛は、なぜかほとんどすべてが悲しい結末を迎えている。中でも有名なのは、アポロンがダフネというニンフ(自然界に宿る女性の聖霊)に熱烈な求愛をした時の物語。

 ダフネはテッサリアを流れるペネイオスという河の神の娘だった。潔癖な処女で男嫌いだったダフネは、求愛する男たちを一切寄せ付けようとせず、青年のような格好で野山をかけまわり、狩猟を楽しんで暮らしていた。その凛々しい姿を見たアポロンは、彼女の虜になる。そして、やさしい愛の言葉をかけながら夢中でダフネのことを追いかける。しかしダフネはひたすら逃げ続ける。この恋が成就しないのには理由がある。

 そもそもこの恋は、愛の神エロスの復讐から始まった。あるときアポロンはエロスが持つ小さな弓を見てからかった。これに腹を立てたエロスは、仕返しとばかりにアポロンの胸を黄金の矢で射抜き、ダフネの胸を鉛の矢で射抜いた。黄金で出来た矢に射られた者は激しい愛情にとりつかれ、鉛で出来た矢に射られた者は恋を嫌悪するようになる。そのためアポロンは、決して叶うことのない恋に落ちてしまったのである。ダフネに恋をしたアポロンは彼女に熱烈な求愛をし、ひたすら彼女を追いかけた。しかし鉛の矢で射られてアポロンに嫌悪の情を抱いていたダフネは、アポロンが追えば追うほど逃げ続けた。

 ついにダフネは、ペネイオス川の岸辺に追い詰められてしまい、逃げ場がなくなってしまう。そこでダフネは父の河神に懇願する。「清い身のままでいられるよう、私の姿を別のものに変えてください」

「ダフネがこの切なる祈りを言い終わるやいなや、激しい硬直が手足をおそった。と、見る見るうちに、やわらかい胸は、うすい樹皮に包まれ、髪の毛は木の葉に変わり、腕は小枝となり、つい今まであれほど速く走っていた足は、強靭な根となって地面に固着し、顔はこずえに覆われた。」(オウィディウス『転身物語』)

ダフネのことを諦めきれないアポロンは、木を抱きしめ、涙を流しながらこう言った。「せめてわたしの樹になっておくれ」。それ以後、月桂樹はアポロンの神木となった。アポロンが月桂樹の小枝を持って表されるのも、ピュティアの競技大会の優勝冠に月桂樹が用いられたのもこのためだった。

【アントニオ・デル・ポッライウォーロ「アポロンとダフネ」ロンドン・ナショナル・ギャラリー】

 アポロンはついにダフネをつかまえることができたが、純潔を守ろうとしていた彼女はすでに月桂樹への変化を遂げている。アポロンの恋とダフネの変身を盛り込んだ作品で、貞節は最後に欲望に勝つというメッセージが秘められているという。ここではアポロンは神というよりも、ひとりの貴公子として描かれており、15世紀のフィレンツェの若者の服装が絵画に取り入れられている。

【ベルニーニ「アポロンとダフネ」ボルゲーゼ美術館 ローマ】

 ベルニーニはオウィディウスの『転身物語』のシクヲモノノミゴトニシカクカシタ。バルディヌッチは「それは全く想像を絶する作品であり、美術を熟知した者の眼にも、また全くの素人の眼にも、常に芸術の軌跡と映ったし、今後も映るであろうような作品である」と述べ、この作品が完成するやいなや、「奇跡が起こったかのようにローマ中の人がそれを見に行った」、この作品によって、ベルニーニは「神童」という名声を得た、と伝えている。実際この作品は、新古典主義の風潮の中で彼の評価が地に墜ちた時代にも、なお人々の称賛を集め続けた。

ポッライウォーロ「アポロンとダフネ」ロンドン・ナショナル・ギャラリー

ベルニーニ「アポロンとダフネ」ボルゲーゼ美術館 ローマ

コルネリス・ド・フォス「アポロンとダフネ」プラド美術館

ティエポロ「アポロンとダフネ」ルーヴル美術館

シャセリオー「アポロンとダフネ」ルーヴル美術館

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「アポロンとダフネ」個人蔵

パルミジャニーノ「弓を作るキューピッド(エロス)」ウィーン美術史美術館

ルーベンス「アポロンとピュトン」

 この時、アポロンにからかわれたエロスが、黄金の矢をアポロンに放とうとしている

「ベルヴェデーレのアポロン」ヴァチカン美術館

ロザルバ・カッリエーラ「アポロン」エルミタージュ美術館

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