「万の心を持つ男」シェイクスピア10『ヴェニスの商人』③

 シェイクスピアは人物を描くとき、その人の立場に立って描いた。どんな脇役だろうと敵役だろうと、主人公意識、つまり、自分は世界の中心にいるという感覚で語らせた。そこが、主役だけに顔を向けて端役のことなど考えない普通の劇作家とは違った。だから、ユダヤ人シャイロックについても、シャイロックの立場に立って、ユダヤ人だってキリスト教徒と同じじゃないかと、彼のうちから発する叫びまで描いてしまった。まずは、アントーニオがシャイロックに借金の依頼をする場面でのシャイロックのセリフ。


「アントーニオさん、あんたはこれまで幾度となく取引所で私をののしった、私の金や利子がどうのこうのと。私はいつだって肩をすくめてじっと我慢してきた、苦難に耐えるのは私たちユダヤ人の印だからな。あんたは私のことをやれ異端者だ、人殺しの犬だと呼んではこのユダヤ人の上着に唾をはきかけた、それもこれも私が自分の金を使うのが気に食わないからだ。ところがどうだ、今になって私の助けが必要になったらしい。いやはや、私のところへやってきて、こうおっしゃる、「シャイロック、金を貸してほしい」、よく言うよ。私の髭に唾をはきかけたあんたが、玄関先から野良犬でも蹴飛ばすみたいに私を足蹴にしたあんたが、金を用立ててほしい。どうお返事しましょうかね。こういうのはいかがです?「犬に金がありますか?野良犬に三千ダカットの金を貸すなんて芸当ができますか?」それとも腰をかがめ、奴隷のようにおどおどと息を殺し、媚びへつらって消え入るような声でこう申し上げるか、「旦那様はせんだっての水曜日、私に唾をはきかけて下さり、いつだったかは足蹴にしてくださった、犬とお呼びいただいたこともございます。こうした数々のご親切のお礼にこれこれの額の金、必ずご用立ていたしましょう」どうだ?」


 また、アントーニオの船が難破したといううわさを聞いたサレーリオ(アントーニオの友人)から「いくら違約したからって、まさかあの人の肉を取りはしないだろう――取ってなんの役に立つ?」と言われたシャイロックはこう語る。


「魚を釣る餌になる。腹の足しにはならんが腹いせの足しにはなる。やつは俺の顔をつぶした、俺の稼ぎを50万ダカットは邪魔しやがった。やつは俺が損をすればあざ笑い、儲ければ馬鹿にし、俺の民族をさげすみ、俺の商売に横槍を入れ、俺の友だちに水をさし、敵を焚き付けた――理由はなんだ?俺がユダヤ人だからだ。ユダヤ人には目がないか?ユダヤ人には手がないか?五臓六腑、四肢五体、感覚、感情、喜怒哀楽がないのか?キリスト教徒と同じものを食い、同じ武器で傷を受け、同じ病気にかかり、同じ治療で治り、同じ冬の寒さ、夏の暑さを感じないというのか?――針で刺されても血は出ない?くすぐられても笑わない?毒を盛られても死なないのか?そして、あんたらにひどい目にあわされても復讐しちゃならんのか?――ほかのことがあんたらと同じなら、この点でもあんたらの真似をしてやる。ユダヤ人がキリスト教徒をひどい目にあわせたら、キリスト教徒ご自慢の寛容はどうなる?復讐だ!逆にキリスト教徒がユダヤ人をひどい目にあわせたら、キリスト教徒のお手本どおり、ユダヤ人の忍従はどうなる?やっぱり復讐だ!こうなったら、あんた方に教えられた悪行を実行するまでだ。いや、ご指南以上に鮮やかにやってのけなきゃ腹の虫がおさまらん。」


 さらに、法廷の場で、公爵から「人に慈悲をほどこしてこそ、おのれの慈悲を望めるのではないか?」と言われた場面では、こうやり返す。


「あなた方は大勢の奴隷を買いとっておいでだ、そしてロバや牛馬なみに卑しい仕事にこき使っておられる、理由は、買ったものだから――ではこう申し上げましょうか、奴隷どもを自由にし、あなた方の跡取り娘の婿になさっては?やつらはなぜ汗水たらし重労働にあえいでいるんです?ベッドはあなた方のと同じように柔らかなものにし、食事も同じご馳走にしてやったらいかがです?あなた方は「奴隷は俺のものだ」とお答えになるでしょう――私の答えも同じです。」


 シェイクスピアは、まるでユダヤ人の思いを代弁するかのようにシャイロックに自由に語らせている。

映画『ヴェニスの商人』アル・パチーノ演じるシャイロック

映画『ヴェニスの商人』アル・パチーノ演じるシャイロック

映画『ヴェニスの商人』アル・パチーノ演じるシャイロック

映画『ヴェニスの商人』

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