「カトリック宗教改革」9 絵画(4)カラヴァッジョ「マタイの召命」

 カトリック宗教改革で求められた美術は、民衆の感情に訴え、海外不況にも用いられやすい、わかりやすく明晰な様式を具えていなければならなかった。聖書の物語や聖なる情景をわかりやすく表現し、それに現実性を与えて観者を引き込まなければいけない。しかし、自然主義的に表現するだけでは卑俗に陥り、聖性、神秘性を喪失してしまう。それでは信仰に奉仕し、信者の信仰心を高めることにならない。現実的でありながら、卑俗に陥らずに聖性を感じさせること、だれにでも触知できるようでありながら、日常性ではなく超常的な奇蹟を見ている気にさせることが求められた。このように聖性を失わせずにリアリティをもって表現する、写実的でありながら精神的である、という相矛盾する困難な課題を解決しようとする模索の中からバロック美術は生まれた。それは、写実(再現的表現)を求めてきた西洋美術の技術的頂点を示し、芸術的にもっとも多産な時代であったと同時に、キリスト教美術の最期の黄金時代でもあった。そしてバロック絵画の幕開けを告げたのが、カラヴァッジョの「聖マタイの召命」(1600年 ローマ サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂)である。

 この絵画を理解するには、まず「マタイの召命」というテーマを知る必要がある。聖書の記述はこうだ。

「イエスは・・・レビ という徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」(「ルカ福音書」第5章27節-28節)

 この場面の一体何が奇蹟なのか?レビ(後のマタイ)はユダヤ社会において「罪人」と同義であった徴税人。ユダヤ人でありながら、ローマ帝国の手先となって同胞から税を取り立て、さらに中間搾取をする彼らは憎むべき卑しい存在であった。そんな徴税人のレビが「私についてきなさい」というイエスの一言を耳にしただけで、仕事も家も財産も捨ててキリストに付き従ったのだ。「すみやかな改宗」と呼ばれ、マタイ改宗の奇蹟とされる所以である。カラヴァッジョはこの奇蹟をどう表現したか?

 舞台となった収税所は、一見、当時のローマの場末の居酒屋のようだ。レビを召すために薄暗い収税所に入ってきたイエスとそのかたわらにいるペテロのほかは、羽根飾りのついた帽子をかぶった若者をはじめ当世風のの衣装を着けた人物が席についている。テーブルの上には金貨やペンが置かれ、商人たちが税を払いに来た場面であることを示している。まさに風俗的で現実的な設定だ。では、カラヴァッジョはどのようにして、観者に超常的なマタイ改宗の奇蹟を見ている気にさせようとしたのか?闇に差し込む光だ。レビを見つめて手を伸ばすイエスとともに差し込んで男たちの顔を明るく照らし出している一条の光が、この風俗的な情景を奇蹟的な改宗劇に変貌させているのだ。ここでは光は神による救済の光であり、極めて自然主義的でありながらイエスとともに差していることで象徴的な効果を生み出している。カラヴァッジョは、罪と闇が支配する社会の底辺のような舞台を設定しつつ、そこに鋭く差し込む光を描くことで、従来の宗教画にはない劇的な明暗効果と迫真性を生み出したのだ。公開された作品は大評判となり、カラヴァッジョをローマ画壇の中心に押し上げただけでなく、バロック美術への扉を開いた記念碑となった。

 ところで、「改宗」や「回心」は対抗宗教改革(カトリック宗教改革)運動の風潮の中でもっとも好まれた主題だった。1600年代初頭は、プロテスタントに奪われた失地を挽回するかのようにイエズス会による海外布教がさかんとなり、カトリック圏が膨張するにつれ、南米のインディオといった非キリスト教徒をいかに効率よく改宗させるかというもんだいが議論された。またローマでは、時の教皇クレメンス8世(在位:1592-1605)がプロテスタントやユダヤ人を改宗させる運動を中心的な政策としていた。そしてこの運動を勢いづかせたのが、1593年のフランス国王アンリ4世のカトリックへの改宗。長引くユグノー戦争を終わらせるためだ。カラヴァッジョの「聖マタイの召命」が描かれたのは、ローマにいるフランス人の教会であるサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会だった。

サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会コンタレッリ礼拝堂

カラヴァッジョ「聖マタイの召命」

レイメルスワーレ「聖マタイの召命」1530年代

ヤン・サンデルス・ファン・ヘメッセン「聖マタイの召命」1550年頃

フランス・プールブス2世「アンリ4世」ルーヴル美術館

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