「カエサルに学ぶリーダーの条件」②人心掌握術1
部下に「この上司についていこう」と思わせるための条件とは何だろう。「この人のためなら命を捨てても悔いはない」と思わせる魅力とは何だろう。『孫子』にこうある。
「卒を視ること嬰児の如し、故にこれと深谿(しんけい)に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に倶に死すべし。」
(兵士たちを赤ん坊のように万事に気を付けていたわって見ていくと、それによって兵士たちと深い谷底にも行けるようになる。兵士たちをかわいいわが子のように見て深い愛情で接していくと、それによって兵士たちと生死をともに出来るようになる。)
また、将に必要な五つの条件の中に「仁」(おもいやり)を含めている。
「将とは、智、信、仁、勇、厳なり」(知性=冷静な判断力、信頼、思いやり、勇敢さ、厳しさ)
確かに部下を大切にし、深い愛情をもって接することは大切だろう。孔子も、鄭の宰相だった子産の人柄について語りながら、為政者の守るべき4つの徳目の一つに「慈しみ且つ恵深いこと」をあげている。
「為政者の守るべき道に四つある。 第一は、自分の身の振る舞いをうやうやしくする。 第二は、上に仕えては慎み敬うことである。 第三は、民を養うには、慈しみ且つ恵深いことである。 第四は、民を使うには、道義に叶って公正であることであるが、これを実践させたのが子産である」
しかし、愛情深さ、思いやり深さは人心掌握の核心だろうか。マキャヴェッリの『君主論』の言葉が浮かぶ。彼は「慈悲深い君主と酷薄な君主とでは、どちらが良い君主と言えるか」という問題についてこう述べている。
「チェーザレ・ボルジアは、酷薄な君主と思われていた。しかし、この彼の酷薄さが、無法の横行していたロマーニャ地方に、平穏と信頼を回復させたのである。反対に、フィレンツェ人は、酷薄と思われるのを避けたい一念で行動したために、結果としては、ピストイアの街の破壊を放置することになってしまったのである。それゆえに、チェーザレ・ボルジアのほうがフィレンツェ人よりも、よほど慈悲深かったといえるのだ。
君主たる者、酷薄だという悪評を立てられても気にする必要はない。歴史は、思いやりに満ちた人物よりも、酷薄と評判だった人々の方が、どれほど民衆を団結させ、彼らの信頼を獲得し、秩序を確立したかを示してくれている。」
何より大切なのは、そのリーダーがもたらす「成果」「結果」ということではないか。どんなに部下に愛情深くても、戦いに負けてばかりいる指揮官(部下を命の危険にさらす、褒賞が得られない、勝者の名誉は与えられない)についていくだろうか。どんなに思いやり深くても、業績を上げられない上司(部下の給料は上がらない、出世の道も遠ざかる、業績を上げる方法も学べない)を信頼するだろうか。組織や集団は、それぞれ「目的」をもっている。その目的を実現するのがリーダーの役目。だから、リーダーに必要な人心掌握術もその組織・集団が実現しようとしている目的との関係で考えるべきなのだ。ここを見落とすと、ただの身につけるべきモラルの問題になってしまう。リーダーはいい人なんかである必要はない。まず第一に大切なのは、結果を出せることなのだ。
( ニコロ・マキャヴェッリ)
(チェーザレ・ボルジア) レオナルド・ダ・ヴィンチも一時期、軍事技師として仕えた
(孫子)
(湯島聖堂にある孔子像)
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