ナポレオン3世・オスマンのパリ大改造と印象派6 印象派が描いた「近代」②

 パリには中央駅はなく、フランス国鉄の列車は方面別に分かれた6つのターミナル駅から発着する。ノルマンディ地方へ向かう列車の発着駅がサン・ラザール駅。1837年に建てられたこの駅は、1843年に現在地に移転され、鉄道網の発達にともない1867年に拡張された。モネは1877年に駅構内で制作する許可を得て、駅の様々な景色を12点の作品に描き、第3回印象派展に出品した。戸外の風景を専門にした画家が、「駅」のような主題をえらんだのは奇妙に見えるかもしれない。しかし、鉄骨とガラスで建てられたこの建物はまさに近代の象徴、その時代の精神や気分の象徴だったのである。 その駅舎に、もくもくと煙を噴き上げながら入ってくる黒い蒸気機関車。天窓から差し込む陽光によって、煙や蒸気は多様な色彩を帯び、鉄骨の武骨な駅舎を優しく包み込んでいる。そこからは、鉄やガラスの冷たさ、硬さは感じられない。田園風景にもつながるような、やわらかさ、おだやかさが漂っている。

「今年、クロード・モネ氏はすばらしい駅の構内を描いた。そこでは、こちらに向かってくる列車の轟きが耳に聞こえる。そこでは、広い車庫に渦を巻いて溢れ出る煙が目に見える。これこそ大画面に繰り広げられた近代絵画である。芸術家たちは、駅の中に詩情を見つけ出さなければならない。彼らの父親たちが森や河でそれを見つけたように。」(1877年エミール・ゾラ「マルセイユの腕木信号機」)

 モネの作品の中で最も好きなのが「散歩、日傘をさす女性」(第2回印象派展に出品)。ここにも近代が描かれている。まず日傘。工場生産によって軽量化が進み、大流行した。また鉄道の発達と余暇の誕生によって、パリ近郊のセーヌ河畔をはじめ、都会人が田舎で遊ぶことがブームになった。モネは、パリ北西ヴァル=ドワーズ県の街アルジャントゥイユで草原に立ち日傘をさす女性(当時の妻であるカミーユ)と、傍らに添う幼児(長男ジャン 当時5歳)をモデルに制作した。もちろん戸外で。強い風の中での製作が可能になったのも、少し前にチューブ絵の具が発明されたから。粉末絵の具と油を現場で混合することなど、強い風の中ではうまく行かなかったに違いないからである。

 しかしそんなことより、この絵はとにかく心地いい。草原を渡る風は、見る人の目のなかで色彩と-体となって渦巻く。カミーユの白いドレスも、人物の背後に広がる空も、ひとつとして静止しているものはない。また画面の大部分を構成する青色、白色、緑色、黄色などの色彩は、自然と触れ合うことによって感じる爽やかで心地よい感覚を観る者に与える。陽光の温もり、そよぐ風、草の匂いまで画面から漂ってくる。まさに印象派を代表する1枚と言っていい。

(1875 モネ「散歩、日傘をさす女性」ワシントン・ナショナルギャラリー)

(1886 モネ「日傘の女性」)

1875年の作品と比べ、この作品では、人物は一層自然と一体化している。女性の表情も消えてしまっている。

(1877 モネ「サン・ラザール駅」オルセー美術館)  

(1877 カイユボット「ヨーロッパ橋」) ヨーロッパ橋から見たサン・ラザール駅

(1873 マネ「鉄道」)

駅をうかがわせるのは白い蒸気のみ。同じ「近代」を描いても、マネの関心は親子の距離にあらわれた「近代個人主義」、「希薄な人間関係」に向けられているようだ。母と子は、伝統的には深い愛情で結ばれた親密な関係として表現されてきたのだから。

(1872ベルト・モリゾ「ゆりかご」) 伝統的な、深い愛情で結ばれた親密な関係

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