「クリスマスと聖書」③マリアの「エリザベト訪問」
マリアは天使の受胎告知を受け入れたが、全く不安がなかったわけではないだろう。聖霊によって神の子を身ごもるなど想像もできないできごと。自分より先に、やはり聖霊によって妊娠している親類のエリザベトのもとへ身重の体で出かける。受胎告知のとき、天使ガブリエルからこう言われていたからだ(『ルカによる福音書』1章36節~37節)。
「あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
エリザベトが身ごもる前、彼女の夫ザカリアにも天使ガブリエルは現れている。そしてこう言った。
「ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」(『ルカによる福音書』1章13節)
しかしザカリアはマリアと違って天使の言葉が信じ切れず、こんな言葉を吐いてしまう。
「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」(『ルカによる福音書』1章18節)
ザカリアは口が利けなくなってしまう(再び口が利けるようになるのは、ザカリアが天使の言葉通り、生まれた子に「ヨハネ」という名前を付けた時)。しかし、ガブリエルの告知通りエリザベトは身ごもり、マリアが訪問した時には妊娠6か月を過ぎていた。マリアがエリザベトに挨拶するとこんなことが起きる。
「マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。』」(『ルカによる福音書』1章41節~45節)
マリアは心から受胎告知を信じることができるようになり、喜びに満たされ、神を讃える。「マリアの讃歌」、「マニフィカート」だ。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 身分の低い、この主のはしためにも 目を留めてくださったからです。 今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。・・・」
どうも聖母マリアの絵画や彫刻は女王のように描かれることが多く、聖書の記述からは離れすぎていることが多い。「身分の低い主のはしため」でありながらその信仰心ゆえに神の目に留まり神の子の胎となった存在であることを表現した作品は少ない。スペインの画家ムリーリョのいくつかの作品は比較的イメージに近いが。映画では『ナザレのイエス』のオリビア・ハッセーはよかった。音楽では、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ作曲の「マニフィカト ニ長調BWV.243(Magnificat in D-dur)」がいい。まさにマリアによる神の讃歌。クリスマスにぴったりだ。
(ムリーリョ「受胎告知」プラド美術館)
(カール・ハインリッヒ・ブロッホ「ジ受胎告知」デンマーク フレデリクスボー城)
(ラファエロ「マリアのエリザベト訪問」プラド美術館)
(セバスティアーノ・デル・ピオンボ「マリアのエリザベト訪問」ルーヴル美術館)
(ボッティチェリ「マニフィカートの聖母」ウフィツィ美術館)
(バッハ「マニフィカート」)
(映画「ナザレのイエス」(1980年)マリア役のオリビア・ハッセー)
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