「ここに地終わり 海始まる」

  16世紀のヨーロッパの海外進出、つまり大航海時代の先駆をつとめたのはポルトガル。スペインより200年以上早く、1249年にレコンキスタ(イスラム教徒に対するキリスト教徒の国土回復)を完了。早くから西アフリカへの進出を狙っていたが、1415年8月北アフリカ、モロッコの要衝セウタを攻略した。大航海時代の出発点となったこの戦いにひとりの王子が参加していた。この時の戦功によってヴィゼラ公爵に封ぜられた彼は、その広大な領地からあがる収入によって小規模の探検隊を組織、セウタを出発して、西アフリカの海岸にそって探検を行わせた。彼こそ後に航海王子と呼ばれるエンリケ王子である。

 まず探検したのは大西洋諸島のマデイラ諸島(1418年)やアソーレス諸島(1418年)。風や潮の流れもわからず、南進は困難を極める。ようやくアフリカ大陸最西端のヴェルデ岬に到達したのが1445年。エンリケ王子が没した1460年までに、西アフリカのシエラ・レオーネまでの土地が明らかにされた。その後もポルトガルの南進は続く。1488年、バルトロメウ・ディアスが喜望峰を確認。その10年後の1498年、ヴァスコ・ダ・ガマが念願だったインド(カリカット)に到達。高い仲介手数料をとるイスラム教徒を介することなく、直接船でアジアの香辛料などの産物を入手することが可能になり、ポルトガルは莫大な利益を得る。その後もポルトガルは東進を続け、1513年にはマカオに到達。そして、1543年ポルトガル船が種子島に漂着。鉄砲が伝来し、日本の歴史は国家統一に向けて急展開していく。

 ポルトガルが他のヨーロッパ諸国に先駆けてアフリカ、アジアに進出できた大きな要因に、その地理的位置があげられる。ヨーロッパ、ということはユーラシア大陸の最西端に位置しているということ。では、そのポルトガルの最西端とはどこか?リスボンの西20キロメートルに位置するロカ岬である。雄大な大西洋を見下ろす高さ150メートルの断崖の上に有名な碑が建っている。そこには、ポルトガルの偉大な詩人カモンイスが詠んだ詩(バスコ・ダ・ガマの航海を主題に,ポルトガルの歴史的栄光をたたえた叙事詩『ウス・ルジーアダス (ポルトガル人) Os Lusíadas』)の一節が刻まれている。

     「 AQUI...... ONDE A TERRA SE ACABA    E O MAR COMECA 」

          ( 「ここに地終わり 海始まる」 )

 ロカ岬のインフォメーションでは、最西端へ来たことを証明する書類を出してくれるが、発行数が最も多い国が日本だそうだ。おそらく宮本輝の小説『ここに地終わり海始まる』の影響だろう。この小説の主人公は志穂子。結核治療のため6歳のときから18年間療養生活をつづける24歳の彼女のもとに見ず知らずの青年から一枚の絵葉書が届く。そして、その絵ハガキが彼女の18年間の闘病生活を終わらせるという奇蹟をもたらす。その絵葉書の文面とは。

「いまポルトガルのリスボンにいます。きのう、ロカ岬というところに行って来ました。ヨーロッパの最西端にある岬です。そこに石碑が建っていて、碑文が刻み込まれています。日本語に訳すと、ここに地終わり 海始まる という意味だそうです。大西洋からのものすごい風にあおられながら、弾劾に立って眼下の荒れる海に見入り、北軽井沢の病院で見たあなたのことを思い出しました。あした、トルコのイスタンブールに行きます。一日も早く病気に勝ってください・・・・・」

 「ここに地終わり 海始まる」この短いフレーズに、これまでどれほど多くの悩める人々が癒され、励まされてきたことか。ただ、そこを地の果ての辺境の地と否定的にとらえるか、新世界への入口と考えるかは本人次第。後者ととらえたポルトガルは、大航海時代のフロンティアになりえた。

(「発見のモニュメント」リスボン)  多くの航海者の先頭に立つのがエンリケ航海王子

(「発見のモニュメント」リスボン)東側

(エンリケ航海王子)

(ジョルジュ・コラコによるアズレージョ「セウタ攻略」ポルト サン・ベント駅)

(ロカ岬の記念碑)

(ロカ岬の記念碑 )

(ロカ岬の記念碑 )カモンイスの詩の一節が刻まれている

(ルイス・デ・カモンイス)

   1549年、セウタでのムーア人との戦闘で右眼の視力を失った

(「カモンイスの記念碑」リスボン カモンイス広場)


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