「パリのサン・テティエンヌ・デュ・モン教会」

 イタリアでは、クリスマスの翌日、12月26日は祝日になっている。「聖ステファノの日」だ。日本人にはなじみがうすいが、キリスト教における最初の殉教者聖ステファノを記念する祝日である。彼は、神殿絶対主義を否定し、ユダヤ人に紀元32年ごろに殺害された。

「神のために家を建てたのはソロモンでした。けれども、いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません。」(使徒言行録7章 47節)

 ではどのような方法で殺害されたのか?「石打ち」によってだ。アダム・エルスハイマーやレンブラントの「聖ステファノの石打ち」の絵が有名だ。ロンドン ナショナル・ギャラリーにあるカルロ・クリヴェッリの「聖ステファノ」も、かれが「石打ち」で殺されたことを、肩や頭に載せられた石で示している。ところで、「ステファノ」のドイツ語名は「シュテファン」。そう、ウィーンのシンボルともいえるあのサン・シュテファン大聖堂のシュテファンだ。では、フランス語名は?「エティエンヌ」である。そして、パリのパンテオン前にある教会が「サン・テティエンヌ・デュ・モン教会」。

 ここはパスカルやラシーヌの墓でも有名だが、歴史的にはパリの守護聖女(パトロンヌ)ジュヌヴィエーヴの聖櫃が重要。18世紀末まで、パリに大災害が迫るたびに、この聖ジュヌヴィエーヴの櫃は担ぎ出され、丘を下り行列を作ってノートル・ダムまでパリの町を練り歩いた。主なものだけでも、13世紀初めから500年間に70回近くを数える。 もともとこの教会があるこの丘には聖ジュヌヴィエーヴ修道院があり一帯がすべてその領地だった。パンテオンもフランス革命期に国民議会よってフランスの偉人たちを祀る墓所として利用されることが決定されたが、もともと聖ジュヌヴィエーヴに献堂するために建てられた。聖ジュヌヴィエーヴ修道院に仕えていた従僕たちは、1220年まで修道院教会の地下聖堂でミサにあずかっていたが、その数が増えたので、あらたに隣接の地に新会堂の建設が必要とされるにいたった。こうして13世紀に聖エティエンヌ(ステファノ)に捧げられた教会が建てられた。

(レンブラント 「聖ステファノの殉教」 リヨン美術館)

(アダム・エルスハイマー「聖ステファノの石打ち」スコットランド国立美術館)

(カルロ・クリヴェッリ 「聖ステファノ」ロンドン・ナショナル・ギャラリー) 

(「パンテオン」 パリ)

(「サン・テティエンヌ・デュ・モン教会」 パリ)

(「聖ジュヌヴィエーヴの聖櫃」 サン・テティエンヌ・デュ・モン教会) 

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