「カエサルの人心掌握術」

  モンテスキューは『ローマ人盛衰起源論』のなかでカエサルのことをこう評した。

「この途方もない人物がどんな長所を持っていたにしても、まるで欠点のない人物だったわけではない。彼は淫蕩生活に溺れ、軍を指揮しても多大の苦労の末に勝利を得ている」

 ガリア戦役では、紀元前52年カエサルは「ゲルゴウィアの戦い」でウェルキンゲトリクス率いるガリア連合軍に敗れる。カエサルは一撃だけ与えて撤退するつもりだったが、兵士たちは、大隊長や百人隊長が退却を命じたにもかかわらず、勢いに任せて攻撃を続け、700人近い犠牲を出してしまった。翌日、カエサルは全軍を集めて兵士たちを叱る。怒ったのではない。叱ったのだ。指揮官の命令に従わないで勝手に自分の判断で動くこととが、兵士の権限外の行為であると叱ったのだ。しかし、カエサルの見事さはその後だ。無謀な兵士たちの行為は叱ったが、彼らの勇敢さは誉めたのだ。そして、最後にこう言った。

「わたしはお前たちに、勇気と誇り高い精神を望むのと同じくらいに、謙虚さと規律正しいふるまいを望む」

 その後、事実上ガリア戦役を終結させたと言える「アレシアの戦い」で、5万のカエサル軍は、30万のガリア連合軍に見事な勝利を収める。

 カエサルが軍団を率いてルビコン川を渡ったことで始まったローマの内戦は、「ファルサロスの戦い」でカエサル側の勝利を決定づけた。しかし、この戦いの前に行われた「ドゥラキウム攻防戦」では、カエサル軍はポンペイウス軍に敗北。この戦いで包囲網の弱点に総攻撃をかけられたカエサル軍は、パニック状態に陥り騎兵や旗手までが敗走した。攻撃地点から20キロ離れた地点にいたカエサルも急を知って駆けつけ、逃げる旗手から旗を奪い取り、大声で兵士たちに踏みとどまるように呼び掛けた。しかし、無駄に終わった。撤退を命じたカエサルは、安全な地点まで退却すると全軍を集めてこう言った。この日の出来事を冷静に受け取り、必要以上に深刻に考えたり恐怖にかられたりしてはならない、と。そして続けた。

「運命がわれわれの望むとおりになってくれなかったとしても、われわれのほうが運命に、そうなるよう助けの手をのばしてやらねばならない」

 しかし、ここで終わらないのがカエサル。この時点でのカエサルの最優先事項は、敗北した軍の再建。兵士を慰めるだけではそれはできない。兵士自身に敗北の責任を自覚させる必要がある。カエサルは言う。

「眼前に迫っていた勝利を逃した要因は、諸君の混乱、誤認、偶発事への対処の誤りにある。だが、もし全員が全力を尽くすならば、この現状を逆転させることは十分に可能だ。そして、もしこのような気持ちで一致するならば、ゲルゴウィア撤退時と同じに、敗北は勝利に転ずるだろう。それには、恐怖にかられて戦わなかった者たちも、自ら進んで前線に立つ気概を取り戻さねばならない」

 兵士たちの胸にわき上がる「恥」の想い。口々に叫ぶ。「せめて戦線を捨てた旗手だけは死刑に処してほしい」。カエサルは、はっきり「否」と答える。兵士たちは泣きながら、「敵のところへ戻してくれ。今度は全力で戦うから。」と嘆願。カエサルはそれも認めない。結局カエサルが与えた罰は、隊旗を捨てて逃げた旗手数人の降格だけだった。見事なまでのカエサルの人心掌握術。この後、カエサル軍は水も食糧も底をつく中、ファルサルスまで400キロを移動。2倍の相手に完璧ともいえる勝利を得る。ナポレオンの名言が浮かぶ。

   「一頭の羊に率いられた百頭の狼の群れは、一頭の狼に率いられた羊の群れに敗れる」

(ウィリアム・ホームズ・サリバン「演説するカエサル」ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー・コレクション)

(アドルフ・イヴォン「カエサル」)
(ルーベンス「ユリウス・カエサル」プロイセン宮殿庭園財団ベルリン・ブランデンブルク)

(ルーベンス「ユリウス・カエサル」ルーヴル美術館)

(「カエサル像」ローマ文明博物館)

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