「鉄舟の死に方、海舟の見送り方」
北千住で講座「江戸っ子に学ぶ粋な暮らしー正月―」が午前中にあったので、帰りに千駄木で降りて、ずっと行きたかった山岡鉄舟の墓を詣でた。山岡が幕末・明治維新期に国事に殉じた人々の菩提を弔うために明治十六年に建立した全生庵にある。勝海舟と西郷隆盛による江戸城無血開城について調べていて、駿府での西郷と山岡の予備会談を知り、すっかり山岡鉄舟に魅せられた。西郷の名言「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」が山岡について言った言葉だというのもその時に知った。しかし、さらに魅せられたのは彼の死にざまだ。これについては勝海舟が山岡鉄舟口述『武士道』に寄稿した「海舟評論」の一節をそのまま載せることにしたい。
「山岡死亡の際は、おれもちょっと見に行った。明治21年7月19日(死の当日)のこととて、非常に暑かった。当時、正午前、おれが山岡の玄関まで行くと、息子、今の直記が『いま死ぬるというております』、と答えるから、おれがすぐ入ると多勢人も集まっている。その真中に鉄舟が例の座禅をなして、真白な着物に袈裟を掛けて神色自若として座している。おれは座敷に立ちながら、『どうです。先生、ご臨終ですか』と問うや、鉄舟少しく目を開きにっこりとして、『さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる』と、なんの苦もなく答えた。それでおれもことばを返して、『よろしくご成仏あられよ』とて、その座を去った。少しく所用あってのち帰宅すると、家内の話に『山岡さんが死になさったとのご報知でござる』と言うので、『はあ、そうか』と別に驚くこともないから、聞き流しておいた」
現世を生ききった者同士にしか生まれない、なんともあっさり、淡々とした今生の別れ方。こんなふうに最期を迎え、そして送られたいものだと思う。なぜか、古代ギリシャの哲学者エピクロスのこんな言葉が浮かんできた。
「死は存在せず。なんとなれば、われらの存在する限り死の存在はなく、死の存在あるとき、われらの存在することをやめるからなり」
生きている今こそがすべてだと思う。死後の世界を信じようと信じまいとそれは変わらない。
(全生庵「山岡鉄舟の墓」)
(山岡鉄舟)
(エピクロス)
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