「ナポレオン失脚の原因」②

 紀元96年。古代ローマ帝国皇帝ドミティアヌスは、恐怖政治を敷き元老院を軽視したことから,元老院議員によって暗殺される。名門の元老院議員ネルウァが皇帝に推挙され皇帝に就任。その後、トラヤヌス,ハドリアヌス,アントニヌス・ピウス,マルクス・アウレリウスが皇帝に就くが、いずれも前の皇帝の養子。養子という方法で、帝位継承にまつわる陰惨な争いや暗愚な息子の即位を避けて、最良者を皇帝に迎えることができるようにしたのだ。そしてこの五賢帝時代は、『ローマ帝国衰亡史』を書いた18世紀イギリスの歴史家ギボンによって、人類史上最も幸福で繁栄した時代と評された。

 一方、ナポレオンの運命が暗転するのは妻ジョゼフィーヌとの離婚を境としている。皇后ジョゼフィーヌは、その美しい容姿と細やかな気配り、身振りに漂うたとえようもないエレガンスでロシア皇帝アレクサンドル2世をはじめ当代一流の男たちを魅了した。また、尊大さも気取りもない人柄で、国民からの人気も絶大。兵士たちは、彼女を勝利の女神とたたえていた。そんなジョゼフィーヌをなぜナポレオンは離婚したのか?自分の跡取りとなる嫡男を必要としたからだ。ポーランドの愛人マリー・バレフスカとの間に息子はいたが、庶子でしかない。では、誰を再婚相手に選ぶか?ロシア皇帝の妹アンナとオーストリア皇帝の娘マリー・ルイーズが候補に挙がったが、宗教上の理由(ロシア皇女はロシア正教徒でカトリックへの改宗は困難)やハプスブルク家が多産の家系(ナポレオンは「余に必要なのは、その子宮だ!」と言ったとか)であることから、オーストリア皇帝フランツ2世の長女マリー・ルイーズが選ばれた。あろうことか、フランス革命でギロチン台の露と消えたあのマリー・アントワネットの兄の孫娘。当然反対の声も強い。妹婿でもあったミュラ将軍はこう言った。

「陛下がオーストリア女と結婚されたら、フランスで 革命を憎悪した連中を勇気百倍させることになり、革命派にとっては脅威となるばかりです」

 それでもナポレオンは、ジョゼフィーヌを捨て、マリー・アントワネットを大叔母とするマリー・ルイーズを選んだ。世襲へのこだわり、権力への執着――これがナポレオン没落の大きな要因となった。

(フランソワ・ジェラール「皇后ジョゼフィーヌ」)

(ポット 「ジョセフィーヌに 離婚の決意を伝えるナポレオン」)

「離婚は必ずやる。やり方は二つある。お前の同意を得てやるか、同意なしでやるかだ。どちらかを選べ」 とナポレオンは告げたそうだ。それを聞いたジョゼフィーヌは気を失う。演技だったようだが。

(ナポレオンとマリー・ルイーズとの結婚 )

この時ナポレオン40歳、マリー・ルイーズ18歳

(ジョセフ・フランク「皇后マリー・ルイーズとナポレオン2世」)


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