「子供の楽園」日本が失ったもの②

  今、親や教師は子育てを楽しんでやっているのだろうか。どちらも、かけたエネルギーの割に報われることが少ない。好きでなかったら、楽しくなかったら、いらだち、ストレスが増え、それは子どもに伝染し必ず子どもへの悪影響となってその発達、成長を阻害する。子育てする側もされる側も、笑顔が減ってきているように感じる。それに比べると、かつての日本人は子育てを心底楽しんでいたようだ。明治期の日本を5回訪れたイギリスの女性旅行家イザベラ・バードは日光での見聞としてこんな文章を残している。

「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ。父も母も、自分の子に誇りを持っている。」

 日本開国後の初代駐日総領事として、尊王攘夷運動の最も激しかった時代に日本に滞在し、自ら攘夷派の襲撃も経験したラザフォード・オールコック。かれも日本の男たちが子どもを腕の中に抱いている光景に注意をひかれた。

「江戸の街角や店内で、はだかのキューピッドが、これまたはだかに近い頑丈そうな父親の腕にだかれているのを見かけるが、これはごくありふれた光景である。父親はこの小さな荷物をだいて、見るからに慣れた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこち歩きまわる」

 何が人を育てるのか?何が生きるエネルギーを生むのか?もう一度、この根源的な問いと向き合う必要があるように感じる。日本は大切なものを失いつつある。

(豊国「上野の桜かり」 )楽しさがこっちにも伝わってくる

(国芳「雅遊五節句之内 睦月」 )母親の方がやる気満々!

(豊国「江戸名所百人美女 溜いけ」)

火鉢の入った籠で、子どもの着物を温めている。こんな育てられ方をしたら、子どもは人間を好きにならないわけがない。

(イザベラ・バード)

(ラザフォード・オールコック)

 

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