「3月3日 雛祭」
旧暦3月はますます生い茂るという意味の「いや生い」に由来する「弥生」。1月に始まる春の最後の月なので「春惜月」。「はるおしみづき」と読む。
「行く春を 近江の人と 惜しみける」(芭蕉)
そして3月3日は雛祭。人形(ひとがた)に、体のけがれを移して川に流す祓いの行事「上巳」(じょうし)の節句と貴族の女子の人形遊びである「ひいなあそび」が融合して生まれたようだ。 邪気を払い女児の無事な成長を祈る行事として江戸時代に定着した。特に「初雛」(女児が生まれて初めて迎える雛祭り)は親類縁者からの贈呈品も多かったようだ。こんな川柳が残っている。
「大入りの札を下げたき初の雛」 「初の雛亭主騒いで叱られる」
二月から三月には雛人形市が立ち大勢の買い物客でにぎわった。特に「十軒店雛市」(現在の日本橋室町三丁目辺り)が有名で、両側の常の店と合わせて都合四列の店が並んだ。
「草庵の一町続く雛の市」 「人に酔わん十軒店の売ひいな」
雛飾りは、武家では座敷一杯に並べるのがしきたりだった。「雛壇」は、町屋敷の居宅の狭さによる工夫から生まれた。 ただし、揃いの内裏雛は高価(裏長屋の家賃400文に対して、二分=2000文)だったから、「紙工作の雛飾り」も売られていた。
女子供用の飲料品である「白酒」は、味醂に蒸した米や麹を混ぜ合わせて熟成して造った酒で、糖化が進み甘味が強く、白く濁っていた。それでも酒は酒。大切な娘には、舐める程度しか飲ませなかったようだ。
「雛の酒 娘目薬ほど飲ませ」
幕末、日本を訪れた多くの外国人が、日本では子供がいかに大事にされているかを語っている。せめて今日「桃の節句」は世界の女児の健やかな成長を祈って(口実にして?)酒を楽しみたい。
(「雛祭」 歌川国貞「風流古今十二月ノ内 弥生」)
(「雛祭」 鳥居清長「戯童十二候」)
(「雛祭り」 『温古年中行事』)
(「紙工作の雛飾り」)
(「十軒店雛市」『江戸名所図会』)
(「十軒店雛市」『温古年中行事』)
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