「いざ吉原へ」8 妓楼(2)つくり①1階 張見世

 表通りから妓楼を見ると、まず目につくのが「張見世」。格子の内側に遊女がずらりと居並んでいて、客は格子越しにながめ、品定めをする仕組みになっていた。「昼見世」(昼の張見世)もあったが、吉原が日本堤に移されると昼夜二回の営業が許されて吉原の賑わいは「夜見世」に移った。

 暮れ六ツ、夜の張見世が始まる。若い者が「内所」(ないしょ。一階の楼主夫婦の部屋)の縁起台(男根の形をした金精神【こんせいじん】が祀られていた)に掛けられている鈴をジャランジャランと鳴らす。それと同時に、昼の張見世にはない「清掻」(すががき。三味線によるお囃子)が弾き鳴らされる。弾くのは内芸者か、その日の当番の振袖新造。引け四ツ(午前零時ころ)まで、およそ6時間にわたって途切れなく弾き続けられた。にぎやかな清掻が始まると、遊客たちのどよめきが高まる。遊女たちが二階から姿を現わし、格にしたがって座につくのを待って若い者が大行燈に火をともす。

     「鈴をふり灯をとぼすのが合図なり」

 壁いっぱいに描かれた鳳凰の絵を背景に、きらびやかな仕掛けに身を包んだ遊女たちの姿が、格子の向こうから中をのぞく嫖客(ひょうきゃく。花柳界で芸者買いなどをして遊ぶ客)たちの前に浮かびあがった。

     「鈴の音にまがきの花は咲きそろひ」

 中央にお職、つまり最高位の遊女が座り、その左右に階級順に遊女が座を占める。端には振袖新造が座った。上級遊女の席には毛氈が敷かれていた。

     「毛氈へ孔雀はばたきして坐り」

 遊女の前にはそれぞれ煙草盆が置かれている。この煙草盆は、男の気を引く小道具として用いられた。いわゆる「吸いつけ煙草」。遊女が自分がくゆらせている煙管(きせる)を格子越しに男に手渡し、一服させるのである。

     「鳳凰が雁首を出す格子先」

 張見世の前にはつねに男たちが群がっていたが、そのほとんどは素見(すけん)、つまり冷やかしだった。実際に登楼するわけではない。

     「素見が七分買うやつが三分なり」

 まして、大見世の張見世ともなれば、ほとんどが素見だった。

 張見世の前に立ち、格子越しに遊女を眺めて、相手を決めるのが「見たて」。引手茶屋を通して登楼する場合でも、とくに馴染みがいないときは、張見世で見立をし、気に入った遊女がいれば、案内してきた若い者の耳元にささやくだけでよい。あとは、引手茶屋の方で妓楼に伝えてくれる。引手茶屋を通さず、客が直接妓楼に出向いて登楼する「直きづけ」の場合は、妓夫台(ぎゆうだい)にすわっている見世番の若い者に伝えた。見世番は籬の格子越しに張見世を眺めて、客が選んだ遊女を確かめる。そのあと、「〇〇さん、お仕度ぅー」などと呼びかけ、遊女に客が付いたことを知らせた。

 昼見世の場合、九ツ(正午ころ)から営業開始だが、張見世は八ツ(午後二時ころ)から始まった(夜見世は営業と同時に張見世も始まる)。夜見世と違って昼見世は閑散としたのどかなものとなっていた。昼間の客といえば大方地方から出てきた吉原見物者か、野暮無粋で「浅葱裏(あさぎうら)」と嘲笑された江戸勤番の田舎侍であったからお職などはとりわけ勤めに身が入らず、柱にもたれ文などを書いて時を過ごした。見世先で八卦見にみてもらったり、時にはカルタをして遊ぶこともあったようだ。

     「昼見世へお職はなまけなまけ出る」

     「つれづれなる儘に昼みせ文をかき」

     「地女の祟りと見世で八卦いひ」

歌麿「松葉楼 歌川 松風 若紫」 張見世

歌麿「扇屋十二美人張見世」

葛飾応為「吉原夜景図」

栄松斎長喜「青楼格子内外」

春信「太夫と素見」

歌麿画『青楼年中行事』 半籬(中見世)の夜見世

『北里十二時』  昼見世の光景

 張見世の遊女を眺める勤番武士のふたり連れ。床机に腰かけ、大あくびをしている武家屋敷の中間。登楼した主人がなかなか出てこないのでまちくたびれているようだ。

山東京伝『吉原十二時絵巻』 昼の張見世の光景

 ひまな遊女がカルタをして遊んでいる。

妓楼の入口

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