「万の心を持つ男」シェイクスピア12『ヘンリー四世』①ハル王子(1)
『ヘンリー四世』は、ハル王子が、父ヘンリー四世とヘンリー・パーシー一族の確執という政治世界と、居酒屋にたむろするフォルスタッフ一派とのつきあいという世俗世界と、二つの世界をくぐりぬけながら成長していく物語。ハル王子、後のヘンリー五世はイギリス人の人気投票で一番の王だ。フランスとの百年戦争で、フランス側の英雄がジャンヌ・ダルクなら、イギリス側の英雄はヘンリー五世。天下の名君としてのイメージが定着しているが、それだけが人気の理由ではない。彼には皇太子時代に「ハル伝説」と言われるものがあった(「ハル」は「ヘンリー」の愛称)。ロンドンの下町の居酒屋で飲んだくれたり、追いはぎ、強盗に荷担して牢獄に入れられた、という。そんな放蕩息子ぶりを見せていた王子が、王座についたとたんに名君になる(若き日の織田信長が「大うつけ」と言われていたのと似ている。『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵も、若かりしころは『本所の銕(てつ)』と呼ばれ放蕩生活を送っていた)。その落差が、ヘンリー五世のキャラクターを魅力的にしたことは確かだ。
第一幕第二場で、フォルスタッフは王子を誘い込んで追いはぎをやろうと計画する。
「フォルスタッフ ハル、お前も行くな?
王子 誰が、え、俺が追いはぎを?俺が盗みを?いやだね、断る。
フォルスタッフ お前には名誉心も男気も友だち甲斐もないんだな、それに十シリングのコイン一枚奪う勇気もないんなら、王家の血筋も怪しいってもんだ。
王子 分かった、じゃあ一世一代、危ない橋を渡ってみるか。
フォルスタッフ ようし、よく言った。
王子 だがなあ、どうにでもなりやがれ、俺は行かない。」
こんな王子も、ポインズに別の計画(フォルスタッフたちが追いはぎから奪った金品を、二人で変装して奪う)を聞かされて出かけることにする。フォルスタッフやポインズが退場して一人になった王子のセリフ。
「お前たちのことは分かっている。今しばらくは羽目を外した放蕩無頼につきあってやる。こうやって俺は太陽の真似をするのだ、太陽は時として、その美しさを卑しい黒雲が人々の目から覆い隠すのを許すが、再び本来の姿を表したくなれば、息の根を止める元凶と見えた醜悪な雲を突き破って光り輝く、人々はそれを待ち焦がれていただけにますます驚嘆の目で仰ぎ見るのだ。もしも一年中毎日が祝日だったなら、遊びも仕事と同じで退屈になる。だがたまに来る休日は待ち遠しいものだ、めったにない出来事ほどうれしものはない。だから、俺がこの自堕落な生活にけりをつけ、返す約束などしていない借りを返せば、俺の改心は約束以上のことをするに等しいから、みんな自分たちの思い込みが間違いだったと思い知るだろう。そして、くすんだ金属にはめこんだ黄金のように、俺の改心は乱れた生活を背景として輝き、引き立て役の金属がない場合よりも立派に見え、より多くの目を引き付けるはずだ。俺が悪事を働くには作戦だ、みんなが夢想もしないときに、これまでの埋め合わせをするためだ。」
しかし、王にはハル王子の行動が理解できない。二人きりになった場面で、王子に思いをぶつける。
「お前の日ごろの行状を見ていると、天がお前に目星をつけ、私の犯した罪を罰するために、お前を報復の道具にしたとしか思えない。そうでないなら言ってみろ、お前はあんな乱れた卑しい欲望に溺れ、あんな情けない、あんな卑しい、あんな下卑た、あんな下らない、あんな不毛な快楽にふけり、やくざな仲間と付き合っている、そういう不行跡がどうしてお前の高貴な血と両立できるのだ、どうして王者の心を満たすことができるのだ?・・・廷臣たちの心も、私の血につながる王侯貴族の心も、お前から離れてしまった。お前の将来にかけた希望も期待もいまや無残な廃墟となり、誰も彼も心中ひそかにお前の凋落を予見している」
居酒屋でのフォルスタッフとハル王子
「ヘンリー5世」ナショナル・ポートレート・ギャラリー
「ヘンリー4世」ナショナル・ポートレート・ギャラリー
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